神社仏閣

三十六詩仙から三人 [とある神社] 関東

孤高の三十六詩仙 陶潜、鮑昭、陳子昴、杜子美、孟浩然、岑参、王昌齢、劉長卿、柳宗元、白居易、廬仝、李商隠、霊澈、邵雍、蘇舜欽、蘇軾、陳師道、曽幾、陳与義、黄庭堅、欧陽脩、梅尭臣、林逋、寒山、杜枚、李賀、劉禹錫、韓愈、韋応物、儲光義、高適、王維、李白、杜審言、謝霊運、蘇武 から三人の孤高の詩人が彫られています。
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子孫繁栄吉祥図柄の天王さま [天王宮と武尊神社] 群馬県

天王宮にはお世辞にも上手いとは言えませんが、味わい深くて良い彫り物がありました。隣に鎮座する武尊神社では暗がりで微笑む仙童が参拝者を迎えてくれます。追記あり(2023.05.07)
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お狐さまが飾られた社が二つ [稲荷神社(勝呂神社境内社)] 埼玉県

勝呂神社古墳の頂に鎮座する勝呂神社。人に言えない事は裏参りで。大神様が愚痴をお聞きくださり、他言をしません。
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鶴亀仙人 [白髭神社] 埼玉県

窓には超細目ネットとビニールシートが掛けられ、御本殿鑑賞が非常に困難ですが、流麗な彫り物は一見の価値ありです。
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御本殿が二つ [金鑽神社] 埼玉県

『児玉郡誌』によれば、宝永年間に社殿が炎上したため、字神西の日枝神社に一旦合祀され、宝暦年間に至って、社殿を再興し、旧社地に戻ったという。この日枝神社が、現在の社地に元からあった神社で、無格社であった。ところが、一村一社を目指して行われた政府の合祀政策に基づき、この日枝神社に明治四十一年をもって村社であった当社が合祀され、その結果、日枝神社は社号を金鑚神社と改め、村社となった。(案内板より抜粋)
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獅噛みがお出迎え [小松神社と境内社] 埼玉県

小松神社御本殿背面に胴羽目は無く、覆屋側面に窓が無かったので左右は確認できませんでしたが、境内社と思われる御本殿には鶴の胴羽目彫刻がありました。
長野県

きっと信州の名工の彫り物 [鹿島神社] 長野県

信州のローラーを始めた時は まさにビギナーズラックで最初の四社のうち三社で彫り物があったので こりゃぁすごいと夢中になりましたが そんなのは最初だけで 今は打率0コンマ以下。そんな中で素晴らしい宮彫りに出会えて 嬉しかったです。
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大工棟梁は大隅流の矢崎久右衛門元形 [産泰神社 其の一] 群馬県

大隅流の矢崎久右衛門元形が建てた産泰神社の拝殿には、龍や鳳凰などの霊獣の他、一絃琴を奏でる太真王夫人や二十四孝から江革や楊香などの見事な彫刻がありました。
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随神さまが衝撃的(写真追加あり) [波羅伊門神社] 埼玉県

北欧神話の主神オーディーンの宮殿・ヴァルハラを連想させる波羅伊門神社。かなり難読度は高めです。 再訪して写真を追加しました。(2023.03.28)
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立川流宮大工が建立したと伝わる [石尊神社] 山梨県

祭神 大山祇命 日本武尊  創建 応永5年(1398) 由緒 再建文禄三年(1594) 甲斐守武田信虎の崇敬が厚く家臣 馬場美濃守信房も営繕料若干を寄進され、寛文 十二年(1672)徳川家より田1反17歩を寄進せられた。
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御本殿彫師は磯辺儀左衛門秀重 (追記あり)[二柱神社 其の二] 栃木県

磯辺儀左衛門秀重の代表作と言われる、二柱神社御本殿には神仙や中国の故事に取材した、見事な九枚の胴羽目がありました。追記あり(2023.03.25)
長野県

棟梁は彫物大工の白鳥弥四郎 [小六柏尾社] 長野県

彫物大工 白鳥弥四郎というのは立川専四郎富種(立川和四郎富昌の次男)の弟子で ここの前の前に参拝した若宮八幡社も白鳥弥四郎。 御本殿 覆屋の開口部は幅広格子に亀甲金網。内部は明るく鑑賞には全く問題ありません。
長野県

[白山神社境内社] 長野県

御柱祭というのは、もともと諏訪大社の行事ですが、諏訪地域の神社では諏訪神社ではなくても普通に御柱が立てられていたりします。
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金精さまの座す社 [赤城若御子神社] 群馬県

令和五年一月中旬 群馬県高崎市の赤城若御子神社に参拝しました。 大化年間(645-50)創立御祭神 豊城入日子命とよきいりひこのみこと天明二年(1782)本殿築造大工 田沢 関口文治彫工 関口仙治 他門人二名昭和初期拝殿向拝増築拝殿向拝彫工...
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石原常八の龍尽くし‼︎ [宿稲荷神社 再訪 其の一] 群馬県

天文十年(1541)遠祖阿保親王の象を勧進して創建と伝わり、一説には文政十二年(1829)京都伏見から勧請とも伝わる、田園地帯に鎮座する宿稲荷神社に参拝しました。
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三人の孝子と二人の仙人 [榛名若御子神社] 群馬県

榛名山の中腹に鎮座する榛名若御子神社。御本殿は二十四孝の孝子や神仙で飾られていました。
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力神さまが踏ん張ります [全透院鐘楼門] 群馬県

全透院は地蔵堂が有名ですが、鐘楼門にも小さいですが良い彫り物がたくさんありました。
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令和五年新年寺社彫刻巡礼の旅の最終社 [鹿島神社] 茨城県

御本殿よりも生首の写真で有名らしいです。案内板によるとこれは蝦夷の首領アテルイ(悪路王)の首級の彫刻。元々吉祥院にあった物が移植された御本殿胴羽目は彩色されていました。
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神仏習合の痕跡が色濃く残る [武生神社] 茨城県

しばらく胴羽目探求道を行く者にとって険しい道が続いてきましたが、ここに来て急に視界が開けて、目の覚める様な真っ赤な御本殿が目に飛び込んできました。
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徳川光圀が創建を思い立ったと伝わる [陰陽神社] 茨城県

文政2年(1819)に根本甚蔵、小口与兵衛、清水惣兵衛らによって改築された御本殿は陰陽山森林公園、陰陽山山頂近くに鎮座しています。普段着でも登れるくらいの山ですが、山頂展望台からの眺めはなかなかの景色です。