茨城県

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令和五年新年寺社彫刻巡礼の旅の最終社 [鹿島神社] 茨城県

御本殿よりも生首の写真で有名らしいです。案内板によるとこれは蝦夷の首領アテルイ(悪路王)の首級の彫刻。元々吉祥院にあった物が移植された御本殿胴羽目は彩色されていました。
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神仏習合の痕跡が色濃く残る [武生神社] 茨城県

しばらく胴羽目探求道を行く者にとって険しい道が続いてきましたが、ここに来て急に視界が開けて、目の覚める様な真っ赤な御本殿が目に飛び込んできました。
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胴羽目探求道 険しい道が続きます [関戸神社] 茨城県

茨城県神社庁のサイトには「御本殿の建造は江戸中期の作にして、桧板葺流れ造りにして数多くの彫刻は狩野派の画風による華麗なる金銀極彩色仕上げにして、当地稀に見る重要な文化財」とあります。
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金色の御本殿が眩い [国神神社] 茨城県

約三百年前に建てられた御本殿は極彩色の彫り物で飾られていました。
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秘伝の如意棒(改)を駆使します [家和楽神社] 茨城県

御本殿覆屋側面に窓は無く、高さ4メートル近くの所に格子状の隙間があるだけです。 そこで秘伝の如意棒(改)を駆使して内部を覗いてみました。
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徳川光圀が創建を思い立ったと伝わる [陰陽神社] 茨城県

文政2年(1819)に根本甚蔵、小口与兵衛、清水惣兵衛らによって改築された御本殿は陰陽山森林公園、陰陽山山頂近くに鎮座しています。普段着でも登れるくらいの山ですが、山頂展望台からの眺めはなかなかの景色です。
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難攻不落の要塞を思わせます [諏訪神社] 茨城県

かつては彩色されていたと思われる、苔むして寂れた御本殿胴羽目は、背面左面は急斜面になっているので右面だけをを鑑賞する事が出来ます。
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ザックリとした彫り物 [十二所神社] 茨城県

覆屋の中には茨城県北部らしい素朴な彫り物で飾られた御本殿が鎮座していました。 この日に泊まった道の駅もとても印象的でした。
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徳川光圀が八幡神社から改めさせた [鹿島神社] 茨城県

胴羽目脇障子などの画題は全て、古代中国の伝説の隠者や詩人などの偉人から取られており、建立当時の中国趣味を伺う事ができます。
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一足遅かった [稲荷神社(立野神社境内社)] 茨城県

崩壊寸前の境内社・稲荷神社の胴羽目は無くなっていましたが、神輿蔵の神輿には風神雷神の胴羽目がありました。
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彫師は日光東照宮の造営に関わった左甚五郎 [鹿島神社] 茨城県

社殿によると、鎌倉時代の延応元年(1239)に、この地の豪族である那賀太郎藤原通資が鹿島大神を崇拝し、那賀城の東方に鹿島神社を創立したことが始まりと伝えられています。その後、南北朝時代に入ると、南朝方の武士である那賀通辰一族の氏神として祭祀され、江戸時代以降は村の鎮守として地域住民から信仰を集めました。(案内板より)
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ユーモラスでもあり不気味でもある鬼さん [天満神社] 茨城県

コメカミから生えた角が印象的な、ユーモラスで不気味な赤鬼が参拝者を見つめる神社です。
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日曜塗師の閃きに脱帽です [諏訪神社] 茨城県

明らかに本職の塗師の仕事ではないと思われますが、だからこその思いもよらない効果に面白みを発見する事があります。
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胴羽目は橘守国の絵本写宝袋から [静神社] 茨城県

胴羽目には寺社彫刻のバイブル、橘守国の絵本写宝袋を参照したと思われる彫り物がありました。特に三国志演義の名場面の一つ、曹操が船上で詩を詠む場面が彫られた背面胴羽目は非常に珍しい画題で必見です。
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胴羽目は驢馬仙人と鹿仙人 [鹿島神社] 茨城県

毎年恒例のお正月寺社彫刻巡礼の旅も六年目。二日目は茨城県を周り、いよいよ佳境に入って来ました。新年六社目の常陸大宮市野田の鹿島神社は菊慈童の絵馬や仙人の胴羽目が見どころです。
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猫の額ほどの境内 [秋葉神社] 茨城県

壮麗な彫り物で飾られた傷みの激しい御本殿。密閉型の覆屋に納められてカラス越しに鑑賞する事ができます。
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胴羽目に彫られた三人の孝子 [愛宕神社] 茨城県

長めの石段を登り切ったところに、崖っぷちに建てられた神楽殿とそれに向かい合った拝殿、奥には壮麗な彫り物で飾られた御本殿が鎮座しています。
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陽当たり良好 [稲荷神社] 茨城県

久慈川の辺り、浄水場の隣に鎮座する稲荷神社です。
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ボウズ on 坊主! [百万度神社(春日神社境内社)] 茨城県

荒れた覆屋に納められた御本殿の胴羽目には花札のボウズを連想させる、波に沈む太陽の彫り物がありました。
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六つの目で参拝者を見守る [鹿島静神社] 茨城県

真っ赤に塗られた御本殿の屋根の上から、六つの目で参拝者を見つめます