令和六年二月中旬 栃木県足利市の赤城神社に参拝しました。
私は参加した事はありませんが 足利市は年に一度 寺社彫刻などの文化財を公開していて ここもその内の一社です。
弘仁二年(811)勧請
嘉永四年(1851)本殿再建と推定
風雨や紫外線から御本殿を守るために ポリカーボネイトの波板で覆われています。
でも 中を拝観できる横長の窓があるので 問題ありません。彫刻の説明まであって とても親切です。
立派な御本殿がありました。
胴羽目は 須佐之男命の八岐大蛇退治。
手名椎足名椎の八人の娘の内 最後に残った櫛名田比売が 今日 八岐大蛇に食べられる事になっています。
須佐之男命が酒を八つの瓶に満たして待っていると 八岐大蛇がやって来て 酒に頭を突っ込んで飲み干して 泥酔してしまった。
そこをすかさず 十拳剣で切り刻んで退治します。
袖に顔を埋める 櫛名田比売。吹き荒ぶ風が見える様です。
脇障子は応龍。 多分 逆さまに取り付けられてしまってますね。
背面です。
よく見かける構図の 三韓征伐の一場面 神功皇后 武内宿禰 龍宮より宝珠を得る です。
近くの下野國一社八幡宮↓にも同じ構図の胴羽目がありました。
「満珠干珠は潮の干満を支配する珠にして 龍宮城の宝物と伝ふる所なり。伝へて曰く 神功皇后三韓征伐の時(中略)満珠干珠を磯良に求む 磯良即ち龍宮に入り之を求めて来りて献ず」(斎藤隆三『画題辞典』)
それ程には博士顔ではない 武内宿禰。
いつもの様に あまり美人ではない神功皇后。
脇で待機する従者。
逆光が窓に当たり 窓の小傷や埃が反射して 撮影には苦労しました。
左面です。
胴羽目は予譲刺衣と説明書きにありました。中国の話なのに「さしころも」と訓読みでは語呂が悪い様に感じますね。一般には予譲裂衣という様です。まあ 意味は同じだし どうでも良い事です。
主君 智伯を滅ぼしただけでなく その頭蓋骨を酒盃にした趙襄子を討とうとするが失敗する予譲。一度目は義士として赦されます。
復讐を諦めない予譲は 顔や体に漆を塗って らい病患者を装い 炭を飲んで喉を潰し 乞食に身をやつし 再び趙襄子を狙いましたが 馬が殺気に怯えた為に気付かれてしまします。
予譲はもはや許されないことを知り 趙襄子の着衣を求めて それを剣で斬りつけて仇討を全うした後 自害します。
ドン引きしている様に見える 馬と趙襄子とその家臣。
怖かったんだと思います。 目でコ・ロ・ス。
予譲は割と珍で 今のところ 長野県上田市の荒神宮参上神社(見られませんでした) 神奈川県藤沢市の龍口寺 の二社にありました。
こちらの応龍はきちんと はまっています。
超絶技巧ではありませんが こんな感じの彫り物も大好きです。彫師が誰なのかは分かりませんが 技巧に走り過ぎず 動きを大事にした構図が得意の人なのだと思います。
欲を言えば 画題を日本図柄か中国図柄か 統一して欲しかったなぁ。この頃の人達にはどちらも差が無い位に 遠いもしくは近い話だったのかなぁ。
刺青師・龍元
040(2024.04.26)
コメント
onijiiです。
表情やしぐさが良いですねえ。
扉にムカデの彫刻があるそうなので、
公開日に行こうと思っています。
Onijiさん こんにちは
足利市文化財一斉公開は是非行きたかったので、ここは取っておいたんですが、土日はタイミング良く時間が取れる事が滅多に無いので百足は諦めました。