群馬県

神社仏閣

鑑賞難易度かなり高め [大國神社] 群馬県

久々に立派な拝殿がある神社です。所在地は沼田市ですが 地図で見ると片品村に集中する彫刻のある神社群の一つ。覆屋の中に鎮座する御本殿は胴羽目三面と脇障子に彫り物がありました。
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跳ねる姿は飛躍の象徴 [日光神社境内社] 群馬県

ここのお目当ては日光神社の隣に鎮座する境内社。社号は分かりませんが、小さな御本殿が三棟あり、 真ん中の御本殿に胴羽目彫刻がありました。
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波尽くしの御本殿 [武尊神社と御前宮] 群馬県

武尊神社御本殿と御前宮御本殿には波の彫り物が施されていました。波に兎や波に犀などは一般的に火除けの意味で彫られる事が多いそうですが、ここまで波尽くしの神社は珍しいと思います。
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凄いぞ片品村! [諏訪宮] 群馬県

中を覗いてびっくり。寂れてはいるものの素晴らしい彩色彫刻の施された、見事な御本殿が鎮座しています。
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菊姫が飾られた [武尊神社] 群馬県

穆王に愛された慈童は 枕を跨いだ咎で流刑に処せられます。形見に王に授けられた妙文を忘れないように毎日菊の葉に書き付けていましたが その葉から滴る露を飲んで不老不死になりました。
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三大霊獣 [諏訪神社] 群馬県

割と新しく見える社殿の中には立派な御本殿が鎮座していました。 ここら辺の神社では本物の蝋燭を灯す事が多い様ですが、ここは電化されていて火気厳禁。 横窓は無いし、眩いばかりに輝く壁は真新しくて節穴の様な物は見当たらないので仕方なしに斜めから撮影しました。
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六福神と二仙人 [五霊神社] 群馬県

かなり剥落してしまってますが、往時はさぞかし煌びやかであったであろう精緻な彩色が残る、見事な御本殿は見応え十分。一見の価値ありです。
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乗鶴仙人と乗亀仙人 [武尊神社(築地神社境内社)] 群馬県

神社の詳細は不明。 中を覗くと御本殿が三棟あり 右の大きいのが築地神社だと思われます。 お目当ては左側の武尊神社。正面から見ると何の変哲もない 普通の御本殿ですが、胴羽目には鶴と亀に乗った仙人の彫り物がありました。
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御本殿三棟のうち二つに胴羽目彫刻がありました [武尊神社] 群馬県

群馬県片品村に点在する日本武尊を祀る武尊神社の一つです。御本殿が三棟あり、うち二棟に見事な彫り物がありました。
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もう一つの諏訪神社 [諏訪宮(武尊神社境内社)] 群馬県

先日紹介した武尊神社の近所ですが また別の武尊神社です。 ここのお目当ては 境内社の二つの諏訪神社。 今回は左側の諏訪宮を紹介します。 元々近隣に鎮座していたものを 昭和の中頃に移築した様です。 隣のお諏訪さまよりは小ぶりですが なかなか立派な御本殿です。
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大波小波 [諏訪神社(武尊神社境内社)] 群馬県

片品村重要文化財の花咲武尊神社の境内には、昔この地区にあった上諏訪さまと下諏訪さまを移築した二つの諏訪神社があります。
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子孫繁栄吉祥図柄の天王さま [天王宮と武尊神社] 群馬県

天王宮にはお世辞にも上手いとは言えませんが、味わい深くて良い彫り物がありました。隣に鎮座する武尊神社では暗がりで微笑む仙童が参拝者を迎えてくれます。追記あり(2023.05.07)
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詩人と冒険家と仙人 [八幡神社と稲荷神社] 群馬県

鎌倉時代に鶴岡八幡宮から勧請された八幡神社です。胴羽目はありませんが、奉納額には見事な彫刻がありました。また、境内社の稲荷神社には人物の胴羽目があります。
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霊獣に護られる [西野神社] 群馬県

手入れのされた参道や境内には桜が植えてあって、桜の季節には綺麗な桜が楽しめそうな神社です。
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矢崎久右衛門元形の仙人 [金刀比羅宮] 群馬県

大隈流宮大工の矢崎久右衛門元形が文化七年(1810)に建てた社殿です。
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260年前の極彩色彫物 [産泰神社 其の二] 群馬県

安産・子育ての神様である木花佐久夜毘売命をお祀りする産泰神社の御本殿はたくさんの彫り物で飾られていました。追記(2023.04.07)タイトルを『260年前の〜』としましたが、胴羽目・腰羽目は後付けである事が判明しています。
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大工棟梁は大隅流の矢崎久右衛門元形 [産泰神社 其の一] 群馬県

大隅流の矢崎久右衛門元形が建てた産泰神社の拝殿には、龍や鳳凰などの霊獣の他、一絃琴を奏でる太真王夫人や二十四孝から江革や楊香などの見事な彫刻がありました。
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伝説の隠者と亀仙人 [諏訪神社] 群馬県

長野氏の居城・箕輪城跡の南東に鎮座する、大きな杉林に囲まれた神社です。
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節穴の様な目を皿にして節穴を探します [今宮八幡宮] 群馬県

堯舜の批判をした韓非は韓非子にて、「堯が天下の王だった時は、質素な宮廷で粗末な食事を食べ、貧しい衣服を着ていた。今の世の門番が貧しいとはいえ、これよりはましである。これらのことから言えば、かの古の時代の天下を譲るということは、門番の貧しい生活を捨てたり、奴隷の労役から離れるということだ。だから天下を譲るといっても、たいしたことではない」と評している。
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金精さまの座す社 [赤城若御子神社] 群馬県

令和五年一月中旬 群馬県高崎市の赤城若御子神社に参拝しました。大化年間(645-50)創立御祭神 豊城入日子命とよきいりひこのみこと天明二年(1782)本殿築造大工 田沢 関口文治彫工 関口仙治 他門人二名昭和初期拝殿向拝増築拝殿向拝彫工 ...