雲蝶 驚愕の超絶技巧 其の二 [石動神社(再訪)] 新潟県

神功皇后 新潟県
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

刺青師・ 龍元をフォローする

令和五年九月中旬 新潟県三条市の石動神社に参拝しました。

ここは三年前の七月にも参拝しましたが 拝殿が開いておらず 内部の欄間を見る事ができなかったので 再訪しました。現在は週末の他 水曜日も開放しているとの事。

石動神社鳥居

延暦三年(785)勧請
明治元年(1868)拝殿消失
明治初期 現拝殿再建
御祭神 伊須流岐比古命いするぎひこのみこと
彫師 石川雲蝶

石動神社拝殿

向拝の龍。

中備の龍

右側脇障子は「応神天皇誕生」です。

神功皇后

前回はこの見事なおっぱいに目を奪われてしまいましたが 今回は少し余裕があります。

神功皇后

この唇の形なんかは生きているみたいで もう寺社彫刻の範疇を超えています。

応神天皇誕生

誉田別命を抱く神功皇后です。

応神天皇誕生

翁顔の武内宿禰

武内宿禰

皇后の足元にひざまずきます。

武内宿禰

この神功皇后は 割としっかりとした体格の様です。

応神天皇誕生

左側脇障子は「加藤清正と高麗人」

加藤清正

眼光鋭く 高麗人を見据える清正。

加藤清正

背後には 蛇目紋の付いた陣笠を被った兵士がひしめいています。

秀吉の命で朝鮮に出兵した 文禄・慶長の役の時の一場面でしょう。

加藤清正

陣羽織の紋様がめちゃくちゃ細かいです。

加藤清正

脇障子は二重ガラスで守られていて ガラスへの写り込みが凄く 前回は撮影に苦労しました。

平伏す高麗人。

高麗人

今回は写り込み対策をしました。

加藤清正

いよいよ前回は閉まっていて見られなかった社殿内部の欄間です。夢中になり過ぎて内部全体の写真は撮り忘れました。欄間は全部で四点。

1番左は 俵藤太こと「藤原秀郷の大百足退治」。刺青でも人気の図柄です。

俵藤太秀郷

瀬田の唐橋に大蛇が横たわり 人々は恐れて近寄らなくなった。

俵藤太秀郷

藤太が大蛇を踏みつけ跨ぐと それは龍女へ姿を変え「一族が大百足に苦しめられています」と大百足退治を懇願します。

龍女

藤太は見事に大百足を退治して 龍宮より財宝を贈られます。

俵藤太秀郷

その隣 中央の二点は続き物で「源頼光の土蜘蛛退治」。こちらも刺青で定番の図柄です。

源頼光の土蜘蛛退治

頼光四天王の一人の卜部季武うらべすえたけか 源頼光ご本人のどちらかだと思いますが 偉そうにしてるので頼光としておきます。

頼光四天王の一 卜部季武?碓井貞光?

こちらは袖に「保」の字の一部が見えるので 藤原保昌ふじわらのやすまさでしょう。

藤原保昌

酒呑童子退治の時にもいますが 頼光四天王と共に 客将の様に頻繁に頼光を手伝う保昌。 実際には頼光とは勢力争いの抗争を繰り広げていた という研究があります。

藤原保昌

保昌の前にいるのは頼光四天王の一人 坂田金時さかたのきんとき 元 金太郎です。

頼光四天王の一 坂田金時

その隣の欄間です。

源頼光の土蜘蛛退治

恐ろしい土蜘蛛に短剣で挑みかかるのは渡辺星紋を背負った 頼光四天王筆頭の渡辺綱わたなべのつな

頼光四天王筆頭 渡辺綱

土蜘蛛というのは 天皇に恭順しなかった地方の豪族の事らしいです。

頼光四天王筆頭 渡辺綱

綱の後にいるのは 消去法で頼光四天王の一人 卜部季武うらべすえたけ かな?

頼光四天王の一 卜部季武?碓井貞光?

源頼光は桔梗紋ききょうもん 卜部季武は沢瀉紋おもだかもんなのですが 肩にある紋様はそのどちらでもありません。

私ごとで恐縮ですが 実は私の背中には「卜部季武の鬼退治」の刺青が入っていて 着物には沢瀉紋が入っています。因みに総手彫りです。

武将はどれも同じ様に見えてしまうので 紋は誰だかを識別するのに非常に有力な手掛かりになります。 こちら↓が桔梗紋。加藤清正も蛇目紋の他にこの紋を使っていたそうです。

紋章を二つ三つ使う事は割とよくあった事の様なので 上のよく見えない模様も季武か頼光の紋なのかも知れません。

こちら↓は源氏車紋なので碓井貞光うすいさだみつだと思います。

碓井貞光

一番右の欄間は これもまた刺青の定番 「源頼政猪早太の鵺退治」です。

源頼政の鵺退治

頼政は頼光から数えると四代あとの子孫 つまり玄孫やしゃごです。

源頼政

頼政が 先祖の 源頼光 が夢の中で得たと伝わる「雷上動」という弓と「水破」と「兵破」という二本の矢で鵺を射抜き 早太が骨食という短刀でとゞめを刺します。

猪早田の鵺退治

でもこの鵺って ただヒョーヒョーって鳴いてただけなんですよね。

猪早田の鵺退治

欄間は以上の四点です。今回は軒下の龍や蟇股などは撮りませんでした。

親切な氏子さんは私が何十枚何百枚と写真を撮るのを見て かなり引いている様でしたが 何百キロも運転して来て しかも前回は閉まっていたのです なりふり構っていられません。

この後 お茶と飴をご馳走になりました。ありがとうございました。

刺青師・龍元

096(2023.10.14)

コメント

タイトルとURLをコピーしました