令和五年九月中旬 新潟県三条市の石動神社に参拝しました。
ここは三年前の七月にも参拝しましたが 拝殿が開いておらず 内部の欄間を見る事ができなかったので 再訪しました。現在は週末の他 水曜日も開放しているとの事。
![石動神社鳥居](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5436-1.jpeg)
延暦三年(785)勧請
明治元年(1868)拝殿消失
明治初期 現拝殿再建
御祭神 伊須流岐比古命
彫師 石川雲蝶
![石動神社拝殿](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5434-1.jpeg)
向拝の龍。
![中備の龍](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5433-1.jpeg)
右側脇障子は「応神天皇誕生」です。
![神功皇后](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5145-1.jpg)
前回はこの見事なおっぱいに目を奪われてしまいましたが 今回は少し余裕があります。
![神功皇后](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5424-1.jpeg)
この唇の形なんかは生きているみたいで もう寺社彫刻の範疇を超えています。
![応神天皇誕生](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5149-1.jpg)
誉田別命を抱く神功皇后です。
![応神天皇誕生](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5426-1.jpeg)
翁顔の武内宿禰。
![武内宿禰](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5151-1.jpg)
皇后の足元にひざまずきます。
![武内宿禰](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5152-1.jpg)
この神功皇后は 割としっかりとした体格の様です。
![応神天皇誕生](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5161-1.jpg)
左側脇障子は「加藤清正と高麗人」
![加藤清正](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5142-1.jpg)
眼光鋭く 高麗人を見据える清正。
![加藤清正](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5139-1.jpg)
背後には 蛇目紋の付いた陣笠を被った兵士がひしめいています。
![](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5157-1.jpg)
秀吉の命で朝鮮に出兵した 文禄・慶長の役の時の一場面でしょう。
![加藤清正](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5143-1.jpg)
陣羽織の紋様がめちゃくちゃ細かいです。
![加藤清正](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5432-1.jpeg)
脇障子は二重ガラスで守られていて ガラスへの写り込みが凄く 前回は撮影に苦労しました。
![](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5156-1.jpg)
平伏す高麗人。
![高麗人](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5141-1.jpg)
今回は写り込み対策をしました。
![加藤清正](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5432-2-1.jpeg)
いよいよ前回は閉まっていて見られなかった社殿内部の欄間です。夢中になり過ぎて内部全体の写真は撮り忘れました。欄間は全部で四点。
1番左は 俵藤太こと「藤原秀郷の大百足退治」。刺青でも人気の図柄です。
![俵藤太秀郷](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5102-1.jpg)
瀬田の唐橋に大蛇が横たわり 人々は恐れて近寄らなくなった。
![俵藤太秀郷](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5122-1.jpg)
藤太が大蛇を踏みつけ跨ぐと それは龍女へ姿を変え「一族が大百足に苦しめられています」と大百足退治を懇願します。
![龍女](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5128-1.jpg)
藤太は見事に大百足を退治して 龍宮より財宝を贈られます。
![俵藤太秀郷](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5410-1.jpeg)
その隣 中央の二点は続き物で「源頼光の土蜘蛛退治」。こちらも刺青で定番の図柄です。
![源頼光の土蜘蛛退治](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5103-1.jpg)
頼光四天王の一人の卜部季武か 源頼光ご本人のどちらかだと思いますが 偉そうにしてるので頼光としておきます。
![頼光四天王の一 卜部季武?碓井貞光?](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5411-1.jpeg)
こちらは袖に「保」の字の一部が見えるので 藤原保昌でしょう。
![藤原保昌](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5413-1.jpeg)
酒呑童子退治の時にもいますが 頼光四天王と共に 客将の様に頻繁に頼光を手伝う保昌。 実際には頼光とは勢力争いの抗争を繰り広げていた という研究があります。
![藤原保昌](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5414-1.jpeg)
保昌の前にいるのは頼光四天王の一人 坂田金時 元 金太郎です。
![頼光四天王の一 坂田金時](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5119-1.jpg)
その隣の欄間です。
![源頼光の土蜘蛛退治](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5104-1.jpg)
恐ろしい土蜘蛛に短剣で挑みかかるのは渡辺星紋を背負った 頼光四天王筆頭の渡辺綱。
![頼光四天王筆頭 渡辺綱](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5416-1.jpeg)
土蜘蛛というのは 天皇に恭順しなかった地方の豪族の事らしいです。
![頼光四天王筆頭 渡辺綱](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5135-1.jpg)
綱の後にいるのは 消去法で頼光四天王の一人 卜部季武 かな?
![頼光四天王の一 卜部季武?碓井貞光?](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5418-1.jpeg)
源頼光は桔梗紋 卜部季武は沢瀉紋なのですが 肩にある紋様はそのどちらでもありません。
![](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5418.jpeg)
私ごとで恐縮ですが 実は私の背中には「卜部季武の鬼退治」の刺青が入っていて 着物には沢瀉紋が入っています。因みに総手彫りです。
![](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_9629.jpeg)
武将はどれも同じ様に見えてしまうので 紋は誰だかを識別するのに非常に有力な手掛かりになります。 こちら↓が桔梗紋。加藤清正も蛇目紋の他にこの紋を使っていたそうです。
![](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_9631.png)
紋章を二つ三つ使う事は割とよくあった事の様なので 上のよく見えない模様も季武か頼光の紋なのかも知れません。
こちら↓は源氏車紋なので碓井貞光だと思います。
![碓井貞光](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5419-1.jpeg)
一番右の欄間は これもまた刺青の定番 「源頼政 と猪早太の鵺退治」です。
![源頼政の鵺退治](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5423-1.jpeg)
頼政は頼光から数えると四代あとの子孫 つまり玄孫
です。
![源頼政](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5422-1.jpeg)
頼政が 先祖の 源頼光 が夢の中で得たと伝わる「雷上動」という弓と「水破」と「兵破」という二本の矢で鵺を射抜き 早太が骨食という短刀でとゞめを刺します。
![猪早田の鵺退治](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5421-1.jpeg)
でもこの鵺って ただヒョーヒョーって鳴いてただけなんですよね。
![猪早田の鵺退治](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2023/10/IMG_5423-2-1.jpeg)
欄間は以上の四点です。今回は軒下の龍や蟇股などは撮りませんでした。
親切な氏子さんは私が何十枚何百枚と写真を撮るのを見て かなり引いている様でしたが 何百キロも運転して来て しかも前回は閉まっていたのです なりふり構っていられません。
この後 お茶と飴をご馳走になりました。ありがとうございました。
刺青師・龍元
096(2023.10.14)
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