令和五年九月中旬 新潟県胎内市の金刀比羅神社に参拝しました。
池に島を造成し松を植えたという境内 少し上るとガラス張りの社殿がありました。
天保期(1830-43)創建
天保六年(1835)本殿竣工
嘉永四年(1851)拝殿竣工
本殿 稲垣治平
拝殿 後藤三次郎
拝殿
案内板には「江戸から後藤三次郎を迎えて拝殿が竣工した」となっているので 向拝廻りの彫り物は後藤三次郎の作品なのだと思います。
海老虹梁の龍。
彫刻には 保護の為でしょうか 何かペンキみたいなものが塗られています。
海老虹梁持ち送りは 蟾蜍?これは珍だ! と思いましたが 獅子でした。
こちらは右側。それでも 獅子の全身の持ち送りというのも珍ではあります。
右側の龍はトゲではなく毛です。
子龍。
背びれも毛になっています。20年くらい前に刺青でたまにやっていた事がありますが 彫刻で見たのは初めて。かな?
物置き状態が少し悲しい 左側回廊。
中国風の武人と龍。 竿は少し避けさせて貰いました。
これはどなたでしょうか?
中国風龍退治には「方相と金龍」「龍を倒す張良」「漢高祖の龍退治」などがありますが 右側の脇障子が鍵になるのかも知れません。
裏側もちゃんと彫られていました。
側面扉には唐獅子の彫り物。
正面には仙人の彫り物がありました。
鯉乗り仙人 琴高。龍子を捕まえると言って入水し 鯉に乗って帰って来たと言われます。
亀乗り仙人 盧敖 別名・黄安。 元々は別人だったが 今では区別が分からなくなっているらしいです。
西王母の娘 玉巵。 一絃琴を奏で 龍に乗って四海を飛遊します。
鸞乗り仙人 梅福。実在の人ですが 王莽(成帝の親戚)が政治を我が物にし始めると妻子を捨てて 仙人になったと言います。
右側回廊。
龍です。
龍仙人 陳楠。人々が旱魃で苦しんでいる時 鉄腕から龍を召喚し 雨を降らせたと言います。
脇障子は中国風の武人と虎。
虎退治といえば「武松の虎退治」「加藤清正の虎退治」「和藤内の虎退治」が思い浮かびますが これはその内のどれでもありませんね。
槍などの長尺物の武器を持っているのだと思います。
左側脇障子とは龍虎で一対になっているのだと思います。こちらを見れば左側も分かるかなと思いましたが 残念 両方とも分かりません。
社殿側面の仙人たちと 向拝・脇障子の彫り物は作風が違う様に感じました。
御本殿
御本殿は覆屋の中に鎮座していて 背面に窓は無く 左側は波板が張られていたので 中を窺える窓は右側だけ。縦横の格子にガラス窓です。
案内板には「村上の名工・稲垣治平を招聘して本殿が」とあるので こちらの彫り物は稲垣治平作なのでしょう。
扉には精緻な紋様が施され 身舎柱に巻き付いた龍の頭が 梁の上にあります。
まるで御本殿の正面から撮っている様に見えますが 実は右面です。この御本殿は四方に向拝があります。
両側面向拝付きというのは大きなお寺などでたまにある様ですが 四面というのは大変珍しい形だと思います。海老虹梁が前後左右に伸びています。タコみたいです。
その分 大きな彫り物は無いのだと思いますが。
いやあ 珍しい物を鑑賞できて嬉しいです。
刺青師・龍元
102(2023.11.06)
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