令和二年新年寺社巡り。茨城県結城市の大桑神社に参拝しました。
![大桑神社鳥居](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2020/01/29956ae9-1024x1024.jpg)
由緒
和銅年(708−715)現在の大水川原に創建
享保八年(1723)洪水により社殿流出
延享二年(1745)現在地に再建
南向き
![大桑神社由緒書き](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2020/01/f4ef50da-1024x768.jpg)
拝殿
![大桑神社拝殿](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2020/01/2e5b9f92-1024x768.jpg)
拝殿向拝。水引虹梁には見事な 龍、兎の毛通しには 唐獅子牡丹 の彫り物がありました。う〜ん、鳥よけの金網が。。。仕方ないですが。
![拝殿向拝](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2020/01/5ea35875-1024x768.jpg)
覆屋
覆屋には波板が貼られていました。雨避けだったら上部を覆わなければいけないと思うのですが。。。これじゃあ、雨が降り込んでしまいますね。という事はこれは雨避けではなく人避けか。
![大桑神社覆屋](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2020/01/ab09c15c-1024x1024.jpg)
本殿
![大桑神社本殿](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2020/01/7b4bd68e-1024x1024.jpg)
本殿西面
胴羽目。これは猩々ではないかな、と思います。由緒書きとは別に結城市教育委員会の案内板があったのですが、それには「光子甕割」とありました。司馬温公の甕割りの事かな?何にせよ、少なくともこの甕は割れてませんね。それから髪型が唐子っぽくなく、猩々によくある様な長髪なので猩々なのだろうと思うのです。が、まあこれは素人の私が間違っているのだと思います。
![西面胴羽目](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2020/01/f8237231-1024x846.jpg)
妻の二重虹梁には雷神と邪鬼の獅噛がありました。
![西面妻二重虹梁](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2020/01/bee5ac50-1024x480.jpg)
こちら↓は 東石清水八幡神社 の向拝の邪鬼獅噛。似てる様な気がするけど、こちらの彫師もはっきり分かってない様です。
![東石清水八幡神社向拝獅噛](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/10/9638f0e5-682x1024.jpg)
脇障子は林和靖。梅がないけど。
![西側脇障子](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2020/01/77c0a516-1024x1024.jpg)
本殿背面
胴羽目。これは天岩戸ですね。
![背面胴羽目](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2020/01/7456b5b6-1024x730.jpg)
本殿東面
胴羽目は虎渓三笑。
![東面胴羽目](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2020/01/b7c3670f-1024x870.jpg)
二重虹梁にはこちらも邪鬼獅噛。多分、風神がいたのでしょうけど、欠損していました。
![東面妻二重虹梁](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2020/01/529ae002-1024x550.jpg)
脇障子は李白観瀑。
![東側脇障子](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2020/01/9915e1db-1024x1024.jpg)
中々手強い神社でした。
刺青師・龍元
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