神山政五郎が身魂を傾けた彫り物 [羽黒山神社 其の一] 栃木県

羽黒山神社 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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令和五年七月上旬 栃木県宇都宮市の羽黒山神社に参拝しました。

羽黒山神社鳥居

康平年中(1058-65)創建 諸説あり
文政十三年(1830)造営
大工棟梁 山本飛騨
彫師 神山政五郎
御祭神 稲倉魂命うがのみたまのみこと

羽黒山神社

拝殿向拝兎ノ毛通しには梅の木 中備には定番の龍がありました。子引き龍です。

向拝の龍

御本殿覆屋は大きいガラス張りで 内部は明るく鑑賞にはもってこいです。

羽黒山神社

早速中を窺うと 立派な御本殿が鎮座しているのが見えました。

羽黒山神社御本殿

向拝柱は葡萄に栗鼠だと思います。海老虹梁は龍です。

海老虹梁の応龍

これは翼の生えた応龍。

海老虹梁の応龍

御本殿右面です。

羽黒山神社御本殿

鹿沼市の日向神社に 同じく神山政五郎の胴羽目がありますが 政五郎は一枚の胴羽目に沢山の要素を詰め込むのが得意だった様です。

これは見た事の無い構図(多分)。

羽黒山神社御本殿胴羽目

女仙が琴らしき物を持って龍に座っているので これは一絃琴を奏でて龍を魅了したと伝わる玉巵弾琴ぎょくしだんきんで間違いないと思います。

玉巵弾琴

では こちらの女仙は誰でしょう?

西王母?

玉巵は西王母の末娘ですから この貫禄から考えて これは西王母ではないかと思います。

西王母?

西王母には 七仙女と呼ばれる七人の娘がいるとも 禹王の后の雲華夫人うんかふじんが西王母の二十三番目の娘とも言われるので きっと沢山の娘がいるのでしょう。

こちら↓はその内の一人ではないかと思いますが 誰なのかは分かりません。

どなた?

脇障子のこの老人は高砂の尉。

高砂の尉

鹿沼市の日向神社↓に 同じく神山政五郎彫りの 高砂があります。

高砂

背面に胴羽目はありません。

羽黒山神社御本殿

左側脇障子は高砂の媼。

高砂の媼

左面です。

羽黒山神社御本殿

胴羽目は恵比寿さま。

蛭子天

恵比寿は 恵比須とも戎とも夷とも蛭子とも書きます。使い分けについては良く知りませんが 多分どれでも良いのだと思います。

ただ 蛭子については伊弉諾いざなぎ伊弉冉いざなみの間に生まれ 三歳になっても足が立たないので船で流されたという蛭子命ひるこのみこと 中世以降に恵比須と習合したと言われます。

恵比寿さま

浮かれている人。

人

毛沢東っぽい童子。

童子

立派な鯛を担ぐ童子。

童子

斗挾間や支輪 尾垂木などにもびっしりと彫り物が施されています。

羽黒山神社御本殿

海老虹梁の応龍。手挟みは金鶏でしょうか。

海老虹梁の応龍

木鼻の獅子も個性的です。

獅子鼻

縁下腰組み間には鯛や菊水などがありました。

鯛

こちらは化け鯉

化け鯉

四隅の龍頭を見ると 大分廃れています。過去に雨ざらしだった事があるのかも知れません。ガラス張り密閉覆屋にして正解だと思います。

龍頭

腕時計のリューズは外来語だと思ってましたが 実は「龍頭」と書くという事を寺社彫刻巡りをする様になってから知りました。

縁の下の力持ちを素通りする訳には行きません。が 写真が多くなったので次回に続きます。

刺青師・龍元

073 -01(2023.07.13)

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