拝殿彫師は光治福島九五 [諏訪神社] 群馬県

諏訪神社向拝 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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令和五年七月中旬 群馬県桐生市の諏訪神社に参拝しました。

諏訪神社鳥居

寛文四年(1664)現存奥院造立
大正十四年(1925)現地へ遷座
昭和九年(1934)拝殿改築
御祭神 建御名方神たけみなかたのかみ

諏訪神社

昭和九年に改築されたという拝殿。

諏訪神社向拝

向拝の龍です。

向拝の龍

龍の裏には「熊谷市彫刻師光治福島九五」と刻銘がありました。ググると福島光治という彫師がいた様ですが 昭和九年頃は名前と苗字を逆に名乗る習慣があったのでしょうか。九五というのも意味不明。まさか95歳という意味ではないでしょう。

熊谷市彫刻師光治福島九五

棟梁の橋本さんや脇棟梁の金子さん三宅さんたちは普通です。やっぱり昭和に入ると名前が普通で読みやすくて良いですね 光治福島さんは…よっぽどの変わり者なのか それとも何かの謎かけか?

透き塀の中には立派な御本殿が鎮座していました。

諏訪神社御本殿

唐破風下には司馬温公甕割がありました。

司馬温公瓶割

司馬温公が子供の時 水の入った大甕で遊んでいて中に落ちた友達を助ける為に 高価な大甕を躊躇なく石で割りました。 父親は叱るどころか司馬温公を褒め称えた という話。

司馬温公瓶割

中備の龍。

向拝の龍

こちらから見るとちょっと変な顔。

向拝の龍

案内板には1664年現奥院造立となっていましたが 360年前の彫物にはちょっと見えません。

諏訪神社御本殿

脇障子は琴高仙人。

琴高仙人

琴高は琴が巧みで 河の龍子を捕えると言って水に入り 鯉に乗って現れて人々を驚かせたという 何がしたいのか理解に苦しむ 愉快犯的な仙人。

琴高仙人

上から下まで彫物満載です。

諏訪神社御本殿

胴羽目は鳳凰です。

鸞もしくは鳳凰

でも鸞かも知れません。

鸞もしくは鳳凰

四隅持ち送りは龍で 体が腰羽目に伸びています。この腰羽目は後付けの様ですね。

縁下四隅持ち送りの龍と腰羽目

脇障子は裏側までしっかりと彫られていました。

琴高仙人の後ろ姿

背面です。

諏訪神社御本殿

胴羽目は松に鶴。

松に鶴

なかなか精巧に彫られています。

鶴

地紋彫りも凄いですね。

鍾離権 上利剣 もしくは呂洞賓

さて 仙人とは無駄な事に全霊を傾ける人達の様ですが 理解に苦しむという点でかなり良いセン行っているのが この鍾離権しょうりけんという人。剣に立って波上を進みます。

鍾離権 上利剣 もしくは呂洞賓

何処へ行くのか?なぜ剣に乗るのか?と考えるのは野暮な事かも知れません。

剣乗り仙人には上利剣というのもいますが 鍾離権と同一人物だという説があります。また鍾離権の弟子の呂洞賓りょどうひんもこの術が使えると言われています。

鍾離権 上利剣 もしくは呂洞賓

左面です。

諏訪神社御本殿

二重虹梁間には麒麟とその下は何かの鳥。大虹梁の下は もう足が生えているので これは応龍です。

犀 鷺? 応龍

胴羽目の上には粟穂と鶉。

粟穂に鶉

こちらの胴羽目には松と牡丹があるので 鸞という事にします。

鸞もしくは鳳凰

でも鳳凰に牡丹を合わせる事も無い訳では無い様なので やっぱり鳳凰かも知れません。

鸞もしくは鳳凰

腰羽目には持ち送りの龍の尾と爪が波間に見え隠れしています。

腰羽目の龍
諏訪神社御本殿

なかなか渋い御本殿でした。

刺青師・龍元

083(2023.08.20)

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