令和三年九月下旬、茨城県桜川市の八坂神社に参拝しました。
最初は違う八坂神社に行ってしまい諦めかけましたが、なんとか発見。鳥居はありませんでした。
境内に足を踏み入れた瞬間に何か違和感を感じましたが、どうやらそれは社殿が傾いているせいです。
ナント、石柱でつっかえ棒。。。というより、重たい石柱を立て掛けてある?だから傾いてんの?
反対側も同様です。これじゃあ結局弱い方に傾いちゃいます。最悪、両側の壁が内側に倒れ込んだりするんじゃないかな。
筋交を入れるべきだと思いますね。筋交なら固定するだけですから、動的な力は働きません。まあ、素人の戯言です。
御祭神 素戔嗚尊
なんだか御本殿も少し傾いている様に見えます。
向拝の龍。
右側脇障子には張良の彫り物。
左側脇障子は黄石公です。
身舎には彫りの深い胴羽目彫刻がありました。画題は3面とも源頼光の大江山の鬼退治の道中です。
頼光の木渡り。大江山の酒呑童子の根城に向かう途中、谷川が一行の行手を阻みましたが、頼光四天王の一人・坂田金時(金太郎)が木を引っこ抜いて谷に渡します。
御本殿背面。
頼光一行が苦労して進んでいる道中を媼と翁が余裕綽々なのは、実は二人が仏の化身だから。
頼光四天王でしょうか、四人の満面の笑顔が素敵です。
右面胴羽目には、翁から授かった星兜を押し頂く山伏。きっとこの人が源頼光でしょう。
この星兜は、太古の昔、神軍が悪魔を鎮める際に八幡大菩薩が使っていた物。
長旅の疲れを労う一行。って鬼退治はこれからなんですが。。。
山伏の人数は、普通は源頼光と四天王で五人。これに藤原保昌を加えて六人のバージョンもあります。でも数えると、どの板も山伏が七人います。調べると、さらに頼光の嫡子の頼国を加えた七人のバージョンもありました。もっと調べると総勢500人の討伐隊を編成したなんて話もあります。もう人数なんて数えても仕方がないです。
左下には四角い平らなスペースがありましたが、何も彫られていませんでした。
身舎と上部の虹梁は鎹で繋いでありました。
妻壁には唐獅子牡丹。視線が気になります。
海老虹梁も素晴らしい出来です。
一本角で翼のある応龍です。
反対側海老虹梁の裏側。
左側の海老虹梁です。波の感じが良いです。
こちらも応龍です。
手挟みには山鵲がありました。針金で結んであります。
こちら側も斗栱の上と下を鎹で補強してあります。覆屋もそうですが、ちょっと変わった補修だと思います。
こちらの獅子は正面を向いています。珍です。
ほとんど丸彫り。
どの彫り物も一級品の見事な出来です。さぞかし名のある人の作品なのでしょう。
向拝中備の裏には扇形のネームプレートがあり、暗がりの中苦労して写真を撮りましたが、そちらにも何も彫られてはいませんでした。
寄進者の名前を彫る予定だったのか、彫師の銘を彫る予定だったのか。なぜ彫らなかったのか。謎です。
刺青師・龍元
125(2021.10.09)
コメント
onijiiです。
仲間と裏筑波のトレラン帰りにパンク
して、この神社前に立ち往生しました。
思い出深い神社です。(笑)
こちらは寂しい林道脇にポツンとある
ので、分かりずらいですよね。
よくたどり着きましたね。(笑)
接写で見るといい彫物ですね!
近くには八坂神社がいくつか有るし
ここはGoogle Mapsに載ってないんですよね。
違う所に行ってしまいました。
チェックミスはたまに有る事なので
次に行こうかとも思いましたが
なんとなく諦めきれなくて探しました。
発見した時の喜びは堪らないものがありました。
ありがとうございます
m(__)m