神社仏閣 節穴の様な目を皿にして節穴を探します [今宮八幡宮] 群馬県 堯舜の批判をした韓非は韓非子にて、「堯が天下の王だった時は、質素な宮廷で粗末な食事を食べ、貧しい衣服を着ていた。今の世の門番が貧しいとはいえ、これよりはましである。これらのことから言えば、かの古の時代の天下を譲るということは、門番の貧しい生活を捨てたり、奴隷の労役から離れるということだ。だから天下を譲るといっても、たいしたことではない」と評している。 2023.03.05 神社仏閣群馬県
神社仏閣 金精さまの座す社 [赤城若御子神社] 群馬県 令和五年一月中旬 群馬県高崎市の赤城若御子神社に参拝しました。大化年間(645-50)創立御祭神 豊城入日子命とよきいりひこのみこと天明二年(1782)本殿築造大工 田沢 関口文治彫工 関口仙治 他門人二名昭和初期拝殿向拝増築拝殿向拝彫工 ... 2023.03.03 神社仏閣群馬県
神社仏閣 三代石原常八 [宿稲荷神社 再訪 其の二] 群馬県 令和五年一月中旬 群馬県榛東村の宿稲荷神社に再訪しました。龍だけを紹介した其の一からの続きです。天文十年(1541)創建元治元年(1864)本殿拝殿築造御祭神 宇迦之御魂神うかのみたまのかみ 波邇夜麻姫命はにやすひめのみこと本殿拝殿彫師 花... 2023.03.01 神社仏閣群馬県
神社仏閣 石原常八の龍尽くし‼︎ [宿稲荷神社 再訪 其の一] 群馬県 天文十年(1541)遠祖阿保親王の象を勧進して創建と伝わり、一説には文政十二年(1829)京都伏見から勧請とも伝わる、田園地帯に鎮座する宿稲荷神社に参拝しました。 2023.02.27 神社仏閣群馬県
神社仏閣 長谷川源太郎の三国志 [榛名神社双龍門 再訪] 群馬県 2022年9月に修繕の終わった榛名神社双龍門。錆びた金網で覆われていた彫刻は綺麗になって、透明プラスチック板で保護されて鑑賞しやすくなりました。長谷川源太郎の妙技を間近に鑑賞する事ができます。 2023.02.22 神社仏閣群馬県
神社仏閣 令和五年新年寺社彫刻巡礼の旅の最終社 [鹿島神社] 茨城県 御本殿よりも生首の写真で有名らしいです。案内板によるとこれは蝦夷の首領アテルイ(悪路王)の首級の彫刻。元々吉祥院にあった物が移植された御本殿胴羽目は彩色されていました。 2023.02.16 神社仏閣茨城県
神社仏閣 神仏習合の痕跡が色濃く残る [武生神社] 茨城県 しばらく胴羽目探求道を行く者にとって険しい道が続いてきましたが、ここに来て急に視界が開けて、目の覚める様な真っ赤な御本殿が目に飛び込んできました。 2023.02.13 神社仏閣茨城県
神社仏閣 胴羽目探求道 険しい道が続きます [関戸神社] 茨城県 茨城県神社庁のサイトには「御本殿の建造は江戸中期の作にして、桧板葺流れ造りにして数多くの彫刻は狩野派の画風による華麗なる金銀極彩色仕上げにして、当地稀に見る重要な文化財」とあります。 2023.02.10 神社仏閣茨城県
神社仏閣 秘伝の如意棒(改)を駆使します [家和楽神社] 茨城県 御本殿覆屋側面に窓は無く、高さ4メートル近くの所に格子状の隙間があるだけです。 そこで秘伝の如意棒(改)を駆使して内部を覗いてみました。 2023.02.07 神社仏閣茨城県
神社仏閣 徳川光圀が創建を思い立ったと伝わる [陰陽神社] 茨城県 文政2年(1819)に根本甚蔵、小口与兵衛、清水惣兵衛らによって改築された御本殿は陰陽山森林公園、陰陽山山頂近くに鎮座しています。普段着でも登れるくらいの山ですが、山頂展望台からの眺めはなかなかの景色です。 2023.02.06 神社仏閣茨城県
神社仏閣 難攻不落の要塞を思わせます [諏訪神社] 茨城県 かつては彩色されていたと思われる、苔むして寂れた御本殿胴羽目は、背面左面は急斜面になっているので右面だけをを鑑賞する事が出来ます。 2023.02.05 神社仏閣茨城県
神社仏閣 ザックリとした彫り物 [十二所神社] 茨城県 覆屋の中には茨城県北部らしい素朴な彫り物で飾られた御本殿が鎮座していました。この日に泊まった道の駅もとても印象的でした。 2023.02.04 神社仏閣茨城県
神社仏閣 徳川光圀が八幡神社から改めさせた [鹿島神社] 茨城県 胴羽目脇障子などの画題は全て、古代中国の伝説の隠者や詩人などの偉人から取られており、建立当時の中国趣味を伺う事ができます。 2023.02.03 神社仏閣茨城県
神社仏閣 一足遅かった [稲荷神社(立野神社境内社)] 茨城県 崩壊寸前の境内社・稲荷神社の胴羽目は無くなっていましたが、神輿蔵の神輿には風神雷神の胴羽目がありました。 2023.02.01 神社仏閣茨城県
神社仏閣 彫師は日光東照宮の造営に関わった左甚五郎 [鹿島神社] 茨城県 社殿によると、鎌倉時代の延応元年(1239)に、この地の豪族である那賀太郎藤原通資が鹿島大神を崇拝し、那賀城の東方に鹿島神社を創立したことが始まりと伝えられています。その後、南北朝時代に入ると、南朝方の武士である那賀通辰一族の氏神として祭祀され、江戸時代以降は村の鎮守として地域住民から信仰を集めました。(案内板より) 2023.01.31 神社仏閣茨城県
神社仏閣 日曜塗師の閃きに脱帽です [諏訪神社] 茨城県 明らかに本職の塗師の仕事ではないと思われますが、だからこその思いもよらない効果に面白みを発見する事があります。 2023.01.28 神社仏閣茨城県