刺青師・ 龍元

神社仏閣

御本殿彫師は磯辺儀左衛門秀重 (追記あり)[二柱神社 其の二] 栃木県

磯辺儀左衛門秀重の代表作と言われる、二柱神社御本殿には神仙や中国の故事に取材した、見事な九枚の胴羽目がありました。追記あり(2023.03.25)
長野県

芸術的な彫り物にシビレます [横吹千鹿頭神社] 長野県

千鹿頭神は長野県を初め、東日本の民間信仰の神諏訪地方の民間伝承(諏訪信仰)においては洩矢神の御子神、孫神、あるいはその異名とされる。建御名方神の御子神の内県神と同視されることもある。明治初期に成立した『神長守矢氏系譜』によれば、守宅神(洩矢神の息子)の子であり、祭政を受け継ぐ守矢氏の3代目に数えられる。名前は守宅神が鹿狩りをした時に1,000頭の鹿を捕獲したことから由来するといわれている。Wikipediaより
長野県

棟梁は彫物大工の白鳥弥四郎 [小六柏尾社] 長野県

彫物大工 白鳥弥四郎というのは立川専四郎富種(立川和四郎富昌の次男)の弟子で ここの前の前に参拝した若宮八幡社も白鳥弥四郎。 御本殿 覆屋の開口部は幅広格子に亀甲金網。内部は明るく鑑賞には全く問題ありません。
長野県

大工は立川和四郎富昌 [壺井八幡社] 長野県

田園の中の細い道を行くと社叢が見えてきます。密閉型の覆屋には三棟の社殿が鎮座、内一つは立川流二代目の和四郎冨昌造営の御本殿です。
長野県

立川流の彫刻と思われる [若宮八幡神社] 長野県

幾重にも重ねられた板と金網で囲まれた御本殿。覗いてみると立川流作品と言われる非常に優れた彫り物がありました。
長野県

[白山神社境内社] 長野県

御柱祭というのは、もともと諏訪大社の行事ですが、諏訪地域の神社では諏訪神社ではなくても普通に御柱が立てられていたりします。
神社仏閣

伝説の隠者と亀仙人 [諏訪神社] 群馬県

長野氏の居城・箕輪城跡の南東に鎮座する、大きな杉林に囲まれた神社です。
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節穴の様な目を皿にして節穴を探します [今宮八幡宮] 群馬県

堯舜の批判をした韓非は韓非子にて、「堯が天下の王だった時は、質素な宮廷で粗末な食事を食べ、貧しい衣服を着ていた。今の世の門番が貧しいとはいえ、これよりはましである。これらのことから言えば、かの古の時代の天下を譲るということは、門番の貧しい生活を捨てたり、奴隷の労役から離れるということだ。だから天下を譲るといっても、たいしたことではない」と評している。
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金精さまの座す社 [赤城若御子神社] 群馬県

令和五年一月中旬 群馬県高崎市の赤城若御子神社に参拝しました。大化年間(645-50)創立御祭神 豊城入日子命とよきいりひこのみこと天明二年(1782)本殿築造大工 田沢 関口文治彫工 関口仙治 他門人二名昭和初期拝殿向拝増築拝殿向拝彫工 ...
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三代石原常八 [宿稲荷神社 再訪 其の二] 群馬県

令和五年一月中旬 群馬県榛東村の宿稲荷神社に再訪しました。龍だけを紹介した其の一からの続きです。天文十年(1541)創建元治元年(1864)本殿拝殿築造御祭神 宇迦之御魂神うかのみたまのかみ 波邇夜麻姫命はにやすひめのみこと本殿拝殿彫師 花...
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石原常八の龍尽くし‼︎ [宿稲荷神社 再訪 其の一] 群馬県

天文十年(1541)遠祖阿保親王の象を勧進して創建と伝わり、一説には文政十二年(1829)京都伏見から勧請とも伝わる、田園地帯に鎮座する宿稲荷神社に参拝しました。
神社仏閣

三人の孝子と二人の仙人 [榛名若御子神社] 群馬県

榛名山の中腹に鎮座する榛名若御子神社。御本殿は二十四孝の孝子や神仙で飾られていました。
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長谷川源太郎の三国志 [榛名神社双龍門 再訪] 群馬県

2022年9月に修繕の終わった榛名神社双龍門。錆びた金網で覆われていた彫刻は綺麗になって、透明プラスチック板で保護されて鑑賞しやすくなりました。長谷川源太郎の妙技を間近に鑑賞する事ができます。
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力神さまが踏ん張ります [全透院鐘楼門] 群馬県

全透院は地蔵堂が有名ですが、鐘楼門にも小さいですが良い彫り物がたくさんありました。
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令和五年新年寺社彫刻巡礼の旅の最終社 [鹿島神社] 茨城県

御本殿よりも生首の写真で有名らしいです。案内板によるとこれは蝦夷の首領アテルイ(悪路王)の首級の彫刻。元々吉祥院にあった物が移植された御本殿胴羽目は彩色されていました。
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神仏習合の痕跡が色濃く残る [武生神社] 茨城県

しばらく胴羽目探求道を行く者にとって険しい道が続いてきましたが、ここに来て急に視界が開けて、目の覚める様な真っ赤な御本殿が目に飛び込んできました。
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胴羽目探求道 険しい道が続きます [関戸神社] 茨城県

茨城県神社庁のサイトには「御本殿の建造は江戸中期の作にして、桧板葺流れ造りにして数多くの彫刻は狩野派の画風による華麗なる金銀極彩色仕上げにして、当地稀に見る重要な文化財」とあります。
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金色の御本殿が眩い [国神神社] 茨城県

約三百年前に建てられた御本殿は極彩色の彫り物で飾られていました。
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秘伝の如意棒(改)を駆使します [家和楽神社] 茨城県

御本殿覆屋側面に窓は無く、高さ4メートル近くの所に格子状の隙間があるだけです。 そこで秘伝の如意棒(改)を駆使して内部を覗いてみました。
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徳川光圀が創建を思い立ったと伝わる [陰陽神社] 茨城県

文政2年(1819)に根本甚蔵、小口与兵衛、清水惣兵衛らによって改築された御本殿は陰陽山森林公園、陰陽山山頂近くに鎮座しています。普段着でも登れるくらいの山ですが、山頂展望台からの眺めはなかなかの景色です。