令和三年五月、埼玉県白岡市の久伊豆神社に参拝しました。
康治元年(1142)創建
安政元年(1854)より五年の歳月をかけ社殿造営
彫師 立川音吉
御祭神 天穂日命 大己貴命 大山祇命
御本殿
裏へ廻ると立派な御本殿がありました。彫刻保護の為に庇が掛けられていますが、ちょっと頼りない感じですね。近年台風などが大型になっているので心配になってしまいます。
御本殿向拝には仙人と唐子がいます。
反対側には鳳凰がいるので、コレは簫史でしょうか?でも笛も笙も吹いてません。鳳凰に乗っていれば梅福仙人、鳳凰の脇にいれば簫史仙人と判断していますが、簫史は通常、縦笛か笙を吹いています。
御本殿左面
胴羽目は龍に矢を射掛ける侍。本では源頼政の鵺退治となっていますが、退治しているのは九つの頭を持った龍なので、これは多田満仲の九頭龍伝説でしょう。
「ただのまんじゅう」なんてふざけた名前ですが、正式な名乗りは源満仲。
清和源氏の祖である源満仲が住吉大社に祈念したところ、「矢の落ちたところを居城にせよ」とのお告げがあった。満仲が白羽の鏑矢を天に向けて放ち、郎党たちが探したところ、矢は多田沼に棲みついて住民を苦しめていた「九頭の竜」に命中していた、という話。
芳年の絵では龍の頭は一つになってます。
縁下腰組間琵琶板にはお馴染みの楊香。
我らが楊香はまるで功夫の使い手。
妻飾りには葡萄に栗鼠。この位置にあるのは珍しいと思います。
海老虹梁の龍もシブいです。
御本殿背面
胴羽目は三韓征討の 神功皇后と武内宿禰 龍宮より宝珠を得る です。
おお、まるで博士の様な武内宿禰です。
口をポカーンと開けてアホっ子面の神功皇后。
脇障子は背面から見る構図で亀仙人の黄安。
反対側は陳楠仙人。日照り続きで人々が苦しんでいた時、鉢から龍を呼び出し雨を降らせたと伝わります。
縁下腰組間琵琶板には二十四孝から閔子騫。ここの閔子騫は順当な構図ですね。その下には応龍。
御本殿左面
胴羽目は天岩戸。
天鈿女命。オカメ顔です。稀に美人の天鈿女がありますが、やっぱりオカメ顔が良いですね。
手力男命。
天照大神も良いお顔です。
子泣き爺の様な滑稽感がタマらない猿田彦命。やけにシリアス顔。
縁下腰組間琵琶板には二十四孝の大舜。
こちら↓は千葉県香取市の山倉大神の玉垣欄間。ほぼ同じ構図ですから同じ下絵を参照したのでしょう。両方とも象が邪悪な目付きをしているという事は、これは下絵由来の可能性が高いと思います。舜!気を付けて!
海老虹梁の龍は両側ともに登り龍でした。
木階脇羽目には変わった物がありました。コレは霊猫(麝香猫)という事で良いのでしょうか?
栃木県小山市の高椅神社楼門↓にも似た彫り物が有りました。
立川音吉というのは佐野の立川芳治の弟子で、天保13年(1841年)生まれ。立川流とは関係あるのだろうか?諏訪立川流と江戸立川流というのがあるらしいけど。
社殿を建て始めたのが1854年。完成が5年後。
ええ〜!音吉満13歳の時に建て始めて18歳で完成?昔の人はなんでも早いけど、いくら何でも十代後半の少年にこの完成度の彫り物が彫れる?
彫刻は後からはめたのかな?
って言う作りには見えなかったけどなぁ。
実は彫師が違うのか、彫師の生年か、社殿の建造年か、違うと思うオレか、どれかが間違ってんだろうな、と思います。
刺青師・龍元
073(2021.06.06)
コメント
onijiiです。
いい顔してますねえ!
渋さが溜まりませんね!!
像の目つきや、霊猫がいいですねえ!!!
「ただのまんじゅう」、「おかめ顔」に
口元が緩みました。(笑)
ここら辺は彫り物のレベルが高いですね。
どれも良い顔をしています。
霊猫は珍しいですよね。
珍しい彫り物いっぱいの神社で大興奮でした!
立川音吉が13〜18歳の作品かぁ….とは、自分も同じく思ってました。
ただ、同時期に須賀神社の山車も音吉は彫ってるんですよね。
なので、製作時期は合ってるんだと思います。
じゃぁ、生年が間違いなのかというと、これも合ってるんじゃないかと。
自分は、立川音吉が師と共に彫り上げた作品で、製作の主体は師の方だったと思います。それが年月を経ることによって、より名の知られた音吉が彫ったというように変わったのかな、と。
なるほど。
彫師が違うってほどではないですが、音吉の彫り物とは言えない訳ですね。
まあ、それが1番ありそうな感じですね。