源九郎義経
1159-1188 平安末期の武将
幼名 牛若丸
源義朝の九男
源義平・頼朝の異母弟
木曽義仲 の従兄弟
従者 武蔵坊弁慶
側室 静御前
義経伝説
義経記・平治物語によると、父義朝が敗死したため、母の常盤御前が平清盛の側室になる事で幼少の義経は助命され、鞍馬寺に稚児として預けられたとある。
京の五条大橋で、刀千本狩りをしていた弁慶を翻弄し、家来にする。
吾妻鏡によると、異母兄の頼朝が平家打倒の兵を挙げるとそれに参加。平家打倒の最大の功労者となるが、義経があまりにも強い事を恐れた頼朝に謀反の疑いを掛けられて鎌倉方から追われる事になる。義経の軍勢は弁慶、愛妾の静と共に京より西国に逃れた。
摂津から船に分乗して九州に向かう途中、海が時化て軍勢は散り散りになってしまった。彷徨った果てに藤原秀衡に庇護されるが、秀衡の死後、頼朝の圧力に負けた秀衡の息子・泰衡に攻められ自害する。享年三十一歳。
義経の首は弁慶の首と共に鎌倉へ送られ、首実験が行われた。その首が今の神奈川県藤沢市に飛んで来たと伝えられ、白旗神社 に祭神として祀られている。
他にも大陸に渡ってチンギスハンになったという伝説など、悲劇の主人公として今もその人気は高いが、実際のところ義経の人生には不明な点が多い。義経記・平治物語は創作とされ、義経の出生は不明。頼朝に追われ京を脱出した後、秀衡に庇護されるまで何処で何をしていたかにおいても信頼できる史料は無い。
刺青の題材としては、「鞍馬山の天狗と剣の修行をする牛若丸」の他、牛若丸と弁慶との出会いを描いた「五条大橋」、鎌倉方から追われる義経が時化た海で、かつて滅ぼした 平知盛 の亡霊に襲われる「船弁慶」などが人気。
稚児
稚児というのは、平安時代の頃の大規模寺院において剃髪しない少年修行僧の事。
皇族や貴族の子弟が行儀見習いなどで寺に預けられる事もあり上稚児と呼ばれた。その他、頭の良さを見込まれて僧侶の世話をする中稚児、雇われたり売られてきた下稚児がいた。
髪型は垂髪か稚児髷、化粧をして水干や振袖でを着た。
女人禁制の大規模寺院にあって、上稚児を除いた稚児はしばしば男色・衆道・少年愛の対象とされた。
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