令和五年新年寺社彫刻巡礼の旅の最終社 [鹿島神社] 茨城県

鹿島神社 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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令和五年 新年寺社彫刻巡礼の旅三日目 茨城県城里町の鹿島神社に参拝しました

鹿島神社鳥居

天応元年(781)創建
御祭神 武甕槌命たけいかづちのみこと

鹿島神社

ありました!生首の写真 ここは御本殿よりもこの生首の写真で有名の様です

鹿島神社

案内板によるとこれは蝦夷の首領アテルイ(悪路王)の首級の彫刻だそうです 

アテルイが誅されたのは延暦年間(782-806)らしく 元々はミイラを保管してあったと伝わりますがこれはそれを模した物 誰が作ったのか かなり強烈な形相ですね 実物を見る事は出来ない様です

悪路王面彩彫刻

裏へ廻ります

鹿島神社

立派な御本殿がありました

鹿島神社御本殿

向拝の龍です

向拝の龍

舌をまっすぐ前方に突き出す独特な龍は 去年参拝した茨城県日立市の船見山天満宮澳津説神社の向拝の龍とそっくりです

向拝の龍
向拝の龍
茨城県日立市船見山天満宮向拝の龍

海老虹梁は無く 代わりに大きめの手挟みには牡丹が彫られていました

手挟みの牡丹

反対側の手挟みの裏は菊です

手挟みの菊

鳳凰頭  ちょっと怖い

鳳凰図

右面です

鹿島神社御本殿

胴羽目は鯉の滝登りと鶴

鯉の滝登り 鶴

背面です

鹿島神社御本殿

案内板に「本殿彫刻は、元は、同じ高久にあって天保年間(1830-44)に廃寺となった吉祥院のものといわれる」とあるので 胴羽目彫刻に不自然な隙間があるのは その為でしょう

董峯 寒山拾得

虎を連れて お金を取らずに病人を診たという 董奉とうほう

董奉

唐代の風狂僧 拾得じっとく

拾得

同じく唐代の詩僧 寒山

寒山

関羽かんう周倉しゅうそうですね

関羽と周倉

元絵と思われる橘守国著絵本写宝袋の臨江亭会談の画には魯粛たちや呉の兵士などがいますから この彫刻が吉祥院にあった時には 右半分があったものと思われます

臨江亭会談
橘守国の絵本写宝袋

なかなか悪そうな面持ちの周倉

周倉

熱血漢の関羽  視線が熱いです 

関羽

彩色が綺麗だった頃は結構生々しかったのでは

関羽

同じ構図でも彫師が違うと表情が随分と違います こちら↓は群馬県高崎市の妙見社胴羽目の関羽 長谷川源太郎彫

関羽雲長
群馬県高崎市の妙見社胴羽目

左面です

鹿島神社御本殿

胴羽目は 双鶴と 張果老の瓢箪ひょうたんから駒

鶴 瓢箪から駒

休むときに驢馬ろばを紙のように折り畳んで箱にしまい 乗る時には水を吹きかけて驢馬に変えたと言います

通玄先生

目がイっちゃってます

張果老

今の案内板には書かれていませんが 以前の案内板には「昭和50年5月日光の名工によって塗りかえられた」とあった様です 因みに今年は昭和98年です

鹿島神社御本殿

配置など少し不自然な部分もありますが 全体的には胴羽目移植は成功していると思います

だいぶ陽が傾いてきて これ以上は良い写真が撮れないと思ったので 今年の新年寺社彫刻巡礼の旅はここで切り上げました

出発が遅かったので今年は二十一社だけ 次回からは通常の寺社彫刻巡りです 日帰りというだけでやる事は一緒だけど 

心持ちが違うんですよね

刺青師・龍元

021(2023.02.16)

コメント

  1. onijii より:

    onijiiです。
    遠征大変お疲れさまでした。
    悪路王の生首が生々しいですね。
    驚きました。

    茨城県の装飾彫刻をこれほど数多く
    紹介して下さった方は、これまで
    いなかったと思います。
    県民として熱く御礼申し上げます。
    魅力度が少しでも上がることを
    願っています。(笑)

    • 悪路王の生首は怖いですね。ここに参拝した主目的は悪路王の額です。

      思えば茨城県は1年ぶり、令和二年のお正月以来毎年お正月は茨城県を回ってますね。私の中では「茨城県=おめでたい」になってますよ。茨城県の素朴で味のある彫り物は癒しになっています。

      それもこれもonijiiさん始め、諸先輩の情報提供があってこそです。ありがとうございます。

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