加藤清正の虎退治が圧巻です [三嶋神社 其の二] 千葉県

加藤清正の虎退治 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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令和六年十一月上旬 千葉県千葉市の三嶋神社に参拝しました。三嶋神社 其の一からの続きです。

背面

三嶋神社御本殿

胴羽目は 加藤清正の虎退治。

加藤清正の虎退治

長烏帽子形兜と蛇の目紋がトレードマークの加藤清正は 槍の名手で片鎌槍が有名です。

加藤清正

秀吉の家臣だった清正は 文禄元年(1592)からの文禄・慶長の役で朝鮮に出兵。

加藤清正

この頃の朝鮮半島にはアムール虎が数多く生息していて 清正は士気高揚の為にしばしば虎狩りをしたと伝えられています。

虎

縁下組物間には波に犀。その下に菊水です。多分 この菊水は上下逆さまに取り付けられていますね。

波に犀 菊水

右側も同じ。犀の頭の左側の岩に文字が刻まれています。他にも所々に銘が彫ってあるのですが 多分 寄進者でしょう。

波に犀 菊水

左面

三嶋神社御本殿

妻飾りの鯉。

三嶋神社御本殿妻飾

やはり こちらも化け鯉です。

化け鯉

胴羽目。

不明

ここへ来るまでは 黄石公と張良だと思ってました。

??

が 少し様子が違います。

??

老人が持っている物は巻物ではないし ひざまづいている人が沓を差し出している訳でもありません。

??

それに烏帽子の様な物を被っていて どうやら和装の様です。一体どなた?

??

大きな脇障子には 猩々が彫られていました。

猩々

酒瓶の上で踊り狂う猩々。

猩々

飲み過ぎたのか 座り込んで顎を上げる猩々。

猩々

それ チャッチャッチャ🎵

猩々

縁下組物間には唐獅子がありましたが その下のこれは何でしょう? 二十四孝で誰も居ない寝床を団扇で扇ぐのは黄香こうこう。でもこれは誰かが寝てますね。

二十四孝 呉猛?

府馬愛宕神社の玉垣↓では 親の身代わりに蚊に刺される呉猛ごもうが団扇を持っていました。これ↑も呉猛なのでしょうか。

呉猛
府馬愛宕神社玉垣

左側は 竹があって鍬を持った人物がいるので 二十四孝の孟宗もうそうに見えます。

二十四孝 孟宗

が よく見ると 人物の左側に鳥が2羽飛んでいる様です。

どちらも二十四孝ではないのかな。

追記(2024.11.21)どちらも 葛飾戴斗 「二十四孝図会」の「呉猛」と「孟宗」を参考にしているように見える と小心さんにご教示いただきました。

葛飾戴斗 二十四孝図会「呉猛」
葛飾戴斗 二十四孝図会「孟宗」

浜床下は 唐子の闘鶏。

唐子遊び

木階下は 赤子を抱く武内宿禰で 応神天皇誕生。反対側の神功皇后と対になります。

応神天皇誕生
三嶋神社御本殿

右胴羽目が欠損しているのは残念でしたが それを補ってなお余りある 素晴らしい彫刻が満載の神社でした。

刺青師・龍元

090-02(2024.11.19)

コメント

  1. 小心 より:

    彫刻がぎっしりですね。

    団扇で仰いでいる少年と、鍬を担いで歩く男性、
    葛飾戴斗 「二十四孝図会」の「呉猛」と「孟宗」を
    参考にしているように見えます。

    • 葛飾戴斗の二十四孝図会で間違いなさそうですね。

      寝ている親父を裸で扇ぐ呉猛。密室で行われる異様な光景ですね。
      孟宗の鳥が出てくるバージョンがあるなんて思いもよりませんでした。
      ありがとうございます。

  2. onijiiです より:

    onijiiです。
    黄石公と張良、二十四孝ではなかったのですね。
    すっかり勘違いしてました。
    リスト訂正しときます。ありがとうございます。

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