二十四孝と応龍と鳳凰 [烏峠稲荷神社 其の二] 福島県

烏峠稲荷神社御本殿 福島県
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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烏峠稲荷神社 其の一 の続きです。

御本殿上部の斗栱間にはぐるりと小さいながら見事な二十四孝の彫り物が有りました。

烏峠稲荷神社御本殿

正面右側の斗栱間は郭巨かくきょ

二十四孝 郭巨

母を養うために口減らしに子供を埋めようとしたら、親孝行のご褒美に黄金の釜、もしくは黄金が詰まった釜を授かります。この話は、赤んぼなんかより年老いた親の方が大事、という事を説いています。

二十四孝 郭巨

正面左側の斗栱間には楊香ようこう

二十四孝 楊香

虎に出くわして「私を食べていいからお父さんを助けて!」と虎の前に立ちはだかると虎は行ってしまった、という話です。中々できる事ではないし、虎が去ったから言える事ですが、二十四孝の中では一番まともだと思います。

二十四孝 楊香

御本殿左面。

烏峠稲荷神社御本殿

胴羽目のすぐ上の、木鼻と木鼻の間の彫り物は兎。斜めの白い線は雪です。

斗栱間彫り物

右側斗栱間は郯子たんし。眼病の両親のために、目に良いとされる鹿の乳を絞ろうと鹿の皮を被って鹿の群れに紛れていたら、猟師に撃たれそうになった。猟師に訳を話すと感動して鹿の乳をくれた、という話。北斎漫画など古い二十四孝の絵には剡子えんしと書かれていますが、中国人の友人が郯子は郯国の君主なのだから郯子が正しいと主張するので、郯子としています。でも日本で普通に使う字ではないし、意味も分からないので、どちらでも良いと思います。

二十四孝 郯子

左側は、孟宗もうそうがタケノコ好きの母のために雪山で有る筈のないタケノコを泣きながら探していると、天がタケノコを生やしてくれた、という話。現代人はスーパーマーケットや食品流通に携わる人々に感謝しなければなりません。

二十四孝 孟宗

背面です。

烏峠稲荷神社御本殿

木鼻と木鼻の間は麒麟。

斗栱間彫り物

右側斗栱間には、歯の無い義母に直パイを吸わせる唐夫人。本人が喜んでいるなら良いですが、ちょっとこれは虐待チックですね。搾乳してから飲ませれば良いのに、とか、これが義父だったらどうしていたんだろう、とか、色々思います。

二十四孝 唐夫人

左側は、奴隷として身を売って父親の葬式代を工面した孝行息子・董永とうえいと、天より遣わされた織姫。布を織って借金を全て返し、遂に感動のお別れの場面です。良い話だとは思いますが、親孝行が前面に出た話では有りませんね。

二十四孝 董永

右面です。

烏峠稲荷神社御本殿

木鼻と木鼻の間にはさいの彫り物。

斗栱間彫り物

右側の斗栱間は、裸になり親の代わりに蚊に刺されまくった呉猛ごもう。中国では呉猛はウーモンと発音し(多分、北京語)プロ野球選手です。もう引退しているらしいです。

二十四孝 呉孟

左側は二十四孝の4番打者、親に虐待を受けながらも孝行を尽くした大舜たいしゅん。天はご褒美に象や小鳥に畑仕事を手伝わせた、との事です。神さま、ご褒美がショボ過ぎます!

二十四孝 大舜

妻飾りには鳳凰がありました。右面。

鳳凰

その下の二重虹梁間には応龍。私の勝手な分類では前期型です。

応龍

左面の妻飾りも鳳凰。少し形が違いますね。

鳳凰

二重虹梁間にはこちらも応龍の前期型。

応龍

烏峠稲荷神社御本殿は烏峠の頂上に有ります。前情報ではすぐそばまで車で行けるとの事でしたが、実際に行ってみると、峠道には雪が積もり、所々凍結していました。

恐る恐る細い道を登ってみるとスタッドレスでも所々で滑ります。Uターンする場所も無いし、知らない道を行くのは危ないと判断して、ゆっくりとバックして麓の駐車場に停める事にしました。

胴羽目上の斗栱間には二十四孝に取材した彫り物が並んでいました。

バックでそのまま駐車場に入ってしまっても良かったのですが、山道で側溝に脱輪した経験のある私は念の為に駐車場を通り過ぎて頭から入る事にしました。

ところが!一度止まって前進しようとするとタイヤがスリップしてしまいます。薄く積もった新雪の下が凍結していたのです。

こんな緩やかな坂でも一度滑り始めるとどうにもなりません。タイヤに小枝を挟んだり石を噛ませたりしましたが、車はどんどん横滑りするだけです。

烏峠入り口

途方に暮れていると、杖をついた老人が山から降りて来ました。って書くと仙人か仏様みたいですが、実際には参拝登山の格好をした人です。

「こりゃ、バックで通りまで降りるしかないね」

そうです。登ろうとするから滑る訳で、バックすれば良いのです。今までバックで降りて来たのではなかったか。人間、一度思い込むとどうにもならなくなります。

「車じゃ行けないよ、この間止まれなくてあそこから車がおっこちたんだよ!」
その人は車が体制を立て直すまで誘導してくださいました。本当に感謝です。

頂上まで歩いて約20分でした。

この後は北上して郡山や福島市まで行く計画でしたが、夏ですら知らない山道では、脱輪したり、見えない段差に引っ掛けてパンパーが外れたり、なんて事が有りましたから、万が一携帯電波の届かない雪山で立ち往生、なんて事になると遭難の危険すら有ります。

なので、この後は北上を諦めて、いわき方面を回って茨城県に戻る事にしました。

刺青師・龍元

016-2 (2022.01.31)

コメント

  1. onijii より:

    onijiiです。
    立派な楼門だし、本殿の組物も凄いですね。
    調べてみたら、驚きました。
    828年造営、834年空海修業、1196年源頼朝
    社殿修復、1764年白河藩社殿修復、2012年
    大規模修復。由緒が凄い!納得です。(笑)

    大雪ですね。
    写真を見ただけで怖くなります。
    大変お疲れさまでした。
    この時は翌朝のノーマルタイヤでの通勤を
    心配して、勤務先に泊まりました。(笑)

    • これが雨ざらしですからね。惜しい事です。

      周りの単管パイプの足場は何なんでしょうね。2012年大規模修復の名残り?

      本当に思い込みというのは厄介です。とくに山道は用心しないといけませんね。

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