令和四年七月下旬 群馬県渋川市の木曽三社神社に参拝しました
鳥居をくぐると長い階段を下り また少し登ります
また登るなら下らなければ良いのにと思いますが 人生そんなに上手くいきません
元暦元年(1184)木曽義仲が崇敬した三座「岡田・沙田・阿礼神社」を勧請創建
寛政元年(1789)火災
寛政六年(1794)本殿再建
慶応三年(1867)頃 拝殿再建と推定
拝殿彫師 岸幸作
御祭神 須佐之男命 彦火火出見命 豊玉姫命 宇気母智神
義仲の遺臣が 義仲と巴御前の子である三男木曾義基を匿って この地に落ち延び 神社を創建したという伝説もあるようですが 巴御前の存在は議論のある所ですし 義仲の嫡男・義高と義基は同一人物かも という研究もある様です
兎ノ毛通しは鳳凰です
中備は応神天皇誕生
応神天皇を抱く 武内宿禰 とても緻密な彫りで 笑った口には歯まで彫ってあります
肉眼じゃ良く見えない様な所にまで 丹精を込める これぞ職人ですね
昔の人は現代人より目が良かった という事はあるのかも知れませんが…
神功皇后の胴には笹竜胆紋が彫ってあります
唐破風下にも笹竜胆紋
持ち送りは鯉です
拝殿彫師の岸幸作は 三代目・石原常八主利の三男で 岸家に婿入りした人だそうです
天保十四年(1843)生まれ 明治三年(1870)没 早死にですね
左側手挟みの外側
その内側には 鳥を狙う鷹でしょうか
右側手挟みの内側は 飛び立つ鷹です
その外側は逃げ惑う小鳥
師匠に頂いた資料によると 武士が彫られた脇障子に岸幸作と刻銘があって どこかに仕舞ってあるそうです
扁額には素晴らしい龍の彫り物がありました
やけに拝殿の写真が多いな と思った人もいるかも知れませんが…
御本殿がこういう事になっていました
正面扉には波の彫り物
背面胴羽目は 見る事が出来ました
波と雲が彫られています
左面も こういう状態です
脇障子は鯉の滝登りです
なんかアロワナかブラックバスみたい ハードボイルド調の鯉ですね
資料によると胴羽目は三面とも 波と雲
階下や腰羽目 組物間や支輪なども 全て波でした
刺青師・龍元
111(2022.09.01)
コメント
onijiiです。
拝殿の彫刻は見事ですね。
素晴らしいです。
本殿の幕は愛好家泣かせですね。
あの幕は本当に残念ですね。
時代が近くなって来ると彫師の名前も現代風になって来ますね。幸作なんて今でもいそうです。