刺青図柄の意味 巴御前

武者絵
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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巴御前

巴御前 背中額彫り

巴御前というのは平安時代末期の女武者で、木曽義仲 の側室です。平家物語によると「巴は色白で髪長く、容顔まことにすぐれたり。強弓精兵、一人当千の兵者なり」ということで、数々の合戦に義仲軍の大将として参加したと伝えられています。

巴御前 長野県上田市誉田足玉神社胴羽目

平家物語

平家物語というのは鎌倉時代に成立した軍記物語です。琵琶法師の口伝えの系統や本の書き写しで伝わった系統など、様々な流派・異説があるので版によって違う様ですが、大筋では、義仲が宇治川の戦いで敗れた時に、巴は最期の数騎になるまで義仲に付き添った後、義仲に落ち延びる様に言われ落ち延びて行きます。

恩田八朗を馬から引きずり降ろした巴御前

義仲に落ち延びる様に言われた巴は
「ならば最期の御奉公を」
と言って、やって来た敵将の恩田八朗を馬から引きずり降ろし、首を切ります。素手でねじ切るとする版もある様です。恐ろしい怪力です。

恩田八朗を打ち倒す巴御前

巴御前のその後

源平盛衰記では、落ち延びた後、和田義盛の妻となって朝比奈三郎義秀を生んで91歳まで生きるという事になっていますが、平家物語では消息不明の版の他に、尼になったなど色々な版がある様です。私は行方知れずが美しくて良いと思いますね。

実際には、朝比奈三郎は義仲が討ち死にする前にすでに生まれているので、巴御前が朝比奈三郎の母である事は有りえません。

刺青師・龍元

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