令和二年四月吉日、埼玉県深谷市の諏訪神社に参拝しました。
由緒
文明年中(1469-87)勧請
永禄五年(1562)現地へ遷座
安政五年(1858)現本殿建立
御祭神 建御名方命(たけみなかたのみこと)
南向き
拝殿向拝。迫力の龍です。
唐破風下には人物二人です。女神と男神に見えますが、これは須佐之男命と櫛名田比売で、水引虹梁上の龍が大蛇という設定でしょうか。嵐山町の手白神社はそんな設定でしたが、こちらは酒甕も無いし、今一つ決定打に欠ける所です。
〜追記(2020.09.09)橋の下に鳥が二羽いるので、これは伊奘諾と伊奘冉が男女和合の方法を鶺鴒の交尾によって知る、という国生みの場面です。追記終わり〜
裏へ周ります。
透塀の中の御本殿の周りには網が設置してありました。う〜ん、最悪です。彫刻保護の為とはいえ、他に方法が無かったのか。。。
西面胴羽目は「彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)針を探して龍宮に至る」。いわゆる山幸彦の話ですね。山幸彦の顔を網目の歪みにうまい事はめる事が出来ました。
背面胴羽目は「天の岩戸」。網に葉っぱが引っかかってるし、どうやってもピントが合わない。
東面胴羽目。これと同じ構図の彫り物が越生町の龍ヶ谷熊野神社にあって、「渡辺綱と鬼女」と言われています。渡辺綱にこんな話あったかなぁ。
北斎の絵にこれとそっくりなモノがあって、こちらは「天児家根命(あまのこやねのみこと)」となっています。
江戸時代は身分制度が厳しくて、侍の絵を描く時には便宜上、別のタイトルを付ける事が良くあったらしいけど、これはどう見ても渡辺綱には見えないですね。
〜追記(2023.06.04)岸和田八木地区大町の地車に「天兒屋根命神鏡を以って怪異を顕す」という、これによく似た彫り物が有る様ですが、内容についてはよく分かっていない様です。追記終わり〜
〜追記(2024.03.29)これは近松門左衛門作の日本振袖始という人形浄瑠璃の「天児屋根命 神鏡を以て岩永姫の正体を暴く」という場面の様です。詳しくはこちらをどうぞ。
追記終わり〜
どちらにしても、ここの彫り物は岸亦八の作品という事になりそうです。あくまでも推定ですが。
こちらは西側脇障子。見えづらいんですけど、コレは「郯子 たんし」。二十四孝の鹿の皮を被って乳搾りをしてたら猟師に撃たれそうになった話です。
「郯子 たんし」や 「剡子 えんし/ぜんし」等、呼び名がいくつかあります。日本の古い書物では剡子となっていますが、中国のWikipedia 自由的百科全书 には「郯子(”郯”字,音同”談”,生卒年月不详),为史书《二十四孝》中记载的历史人物,鹿乳奉亲的主角,春秋时期郯国国君。」と出ています。郯子は中国の春秋時代の郯国の君主で、Weblio辞書には「剡とするのは誤り」と出ていますね。
郯の読みは “タン“ か “ダン” なので 「郯子 たんし」という事になります。
東側の脇障子は、歯の無い義母に乳を飲ませる二十四孝の「唐夫人」。えらいピンボケになっちゃいました。
金網さえ無ければなぁ。。。
刺青師・龍元
071(2020.04.20)
コメント
彫刻が立派なので金網の邪魔さを余計に感じてしまう作りですね、金網をもっと離して欲しかったと思いますが設置の際は写真撮影の事など考えないですよね。本当に残念ですね。
ホントです。ガラス窓の方がまだ良いですよね。まあこれだけ大きい御本殿だと、コストを考えた時にこの金網しか無かったのかも知れませんね。