神社仏閣

力神さまが力みっぱなし [熊野神社] 茨城県

劣化の進んでしまっている古い御本殿の二重虹梁には力神さまが鎮座しています。
動画

手彫り[騎龍雷神図] 背中額彫り 手彫りはマシンに比べて痛みが楽なんです!

手彫りはハネ突き・イモ突きの二種類あり、力加減で色の濃淡に変化をつける事ができます。これと二種類の濃さの墨を組み合わせて、手彫りならではの無段階の濃淡を表現する事が出来ます。
神社仏閣

大迫力の龍が三匹 [慈雲山無量寿院 逢善寺] 茨城県

お寺らしい大きくて迫力のある彫り物がありました。追記あり(2021.02.07)
神社仏閣

謎の仙人と激レア霊獣獬豸のある神社 名工・磯辺儀左衛門信秀と島村圓鉄 [大杉神社 其の一 御本殿と拝殿] 茨城県

平成十八年に復元修復した御本殿拝殿の彩色はまだまだ綺麗で見応えがあります。縁下腰組間には謎の仙人の彫り物がありました。
神社仏閣

真っ赤な覆屋が目に沁みる [水神社] 千葉県

綺麗に手入れされた境内には真っ赤に塗られた本殿覆屋がありました。胴羽目に彫り物はありませんでしたが、向拝や腰羽目、脇障子などに見応えのある精緻な彫り物がありました。
神社仏閣

日本神話の英雄が彫られた [八坂神社] 茨城県

約290年前に建てられたと思われる社殿には、八坂神社の御祭神である日本神話の英雄の活躍が彫られていました。
神社仏閣

唐獅子に松の木を添えた [鹿島神社] 茨城県

正面扉脇羽目右側は阿形の獅子ですが、珍しい事に牡丹ではなく松が合わせてあります。これで良いのか?ってレベルで珍しいです。今までも注意して見て来たつもりですが「牡丹以外はありえない」という理解だったので、見逃している可能性はあります。
神社仏閣

瑞雲から龍が覗く [鹿島神社] 茨城県

掃除の行き届いた御本殿には、彩色の剥落した古そうな彫り物がありました。
神社仏閣

覆屋にも彫り物がある 佐藤市之丞 根本賀矢衛 [一ノ矢八坂神社] 茨城県

胴羽目は一枚だけですが、本殿縁下の蟇股や覆屋頭貫上にも良い彫り物が沢山あって、見応え抜群の神社です。追記あり(2023.02.06)
神社仏閣

獅子の咆哮が聞こえる!竹井吉左衛門 根本利助 [大形鹿島神社 其の一] 茨城県

凄まじい形相で参拝者を迎える向拝木鼻の獅子。まるで咆哮が聞こえる様です。身舎の獅子も迫力の形相で見るものに迫ります。
神社仏閣

松竹と紅葉 [八坂神社] 茨城県

胴羽目三面には浅く松竹と紅葉が彫られています。
神社仏閣

あっさり目の彫り物 [初酉大明神] 茨城県

神社では獅子と虎が対になる事が良くある様ですが、刺青ではこの組み合わせは不可です。両肩に入れた場合、獅子には獅子のみ、虎には虎、もしくは龍です。この組み合わせ以外は有り得ません。
神社仏閣

古来より飯名野の弁天様と崇敬を集める [飯名神社] 茨城県

茨城県つくば市の飯名神社に参拝しました。車で入るのが躊躇われる山間の細い道を進んだ所にあります。途中、「この先通行止め」の看板があったので、やっとの事でUターンして徒歩五分くらいの場所にある無料の市営駐車場に駐車。でも神社に着いてみると正月だからでしょうか、工事も通行止めもなく、目の前の道を普通に車が走ってました。
手彫り刺青作品

背中額彫り 龍 進行中!のその後

約1年前の記事 ではいよいよ佳境に入った、と書きましたが、直後から日本で広がり始めた covid-19 の影響でしばらく休んでいたM君。最近再開して、色を入れる段階になっています。あと何回かで背中が終わるので、次は両腕に行きたいとの事。この...
神社仏閣

七匹の龍に護られる [遍照山常光寺] 茨城県

寺の西側にある常光寺沼に水を飲みに行き近隣の田畑を荒らすので、住職が目に五寸釘を打ち付けて供養した、という言い伝えの残る、左甚五郎作と伝えられる龍の彫り物があります。
神社仏閣

早逝の名工 [出世稲荷神社 本行院境内社] 埼玉県

円熟の30歳 埜本民乃助入魂の傑作を間近に鑑賞する事ができます。
神社仏閣

名工・野本民之助義明 [成田山川越別院本行院] 埼玉県

川越近辺に数々の傑作を残した短命の名工・野本民之助義明の壮麗な彫り物を見る事ができます。
神社仏閣

狐の出入りする穴がある [六塚稲荷神社] 埼玉県

川越城主太田道真が当地を開拓する際に切り崩した六つの塚に稲荷社を祀ったといい、六つの塚の稲荷社だから六塚稲荷と称したとも、六つの稲荷社を当社へ合祀したから六塚稲荷と称したとも言います。追記有り(2023.07.05)
神社仏閣

彩色彫刻 [大門神社] 埼玉県

緑青色の屋根によく映える赤い御本殿には彩色された胴羽目と脇障子がありました。
長野県

鶴と亀 [諏訪神社] 長野県

秩父困民党戦死者の墓のすぐ隣にあります。彫師はすぐ近くの宮下諏訪神社を手がけた臼田茂七ではないだろうか、と勝手に推測していますが、証拠はありません。