令和六年七月中旬 山梨県富士川町の飛川神社に参拝しました。神社の読みについては諸説ある様です。
田園風景の中に鎮座します。
宝永三年(1706)創建
文久四年(1864)建立
御祭神 木花開耶姫命
彫師 後藤功祐
彫刻については「あまりにも多く、余白がなく、われわれ日本人には少し恐怖を覚えるのも確かである。」
って。。。
大げさに言ってるだけなのでしょうけどね。
「われわれ日本人には」という部分は要らないんじゃないかと思います。
「恐怖を覚える」という御本殿を見ていきます。
御本殿向拝
向拝木鼻の見返りの龍は そのまま水引虹梁の方へ胴体が伸びています。
中備には烏天狗がいました。
その隣には大天狗。
それほど鼻高ではありません。
大天狗の右にも烏天狗。
手挟の応龍。
確かに かなり緻密な彫り物で 初めて見た人はビックリするとは思います。
御本殿右面
胴羽目や脇障子の他 上部組物間 腰組間 腰羽目や浜床下など 沢山の彫刻で埋め尽くされた御本殿です。
ここも近所の高下諏訪神社と同じく 正面扉が奥まった位置に付いているので その分側面が幅広で 柱間二間。胴羽目も2点に分かれています。
2点で一組 三国志演義の名場面 三顧茅廬 です。
当時すでに将軍として名を上げていた劉備が 軍師を求めて無名で年少の諸葛亮を訪ねる場面。
劉備の供について来た美髯公こと関羽です。
三回目の訪問でやっと在宅していたが その時 諸葛亮は午睡中でした。彫刻では読書中の様です。
劉備は諸葛亮の目が覚めるまで待ったといいます。
「兄貴 奴ぁどうせ居ないに決まってますぜ!俺ぁ帰りますよ!」 と痺れを切らした張飛。
「黙ってついて来んか 貴様のヒゲに火を付けるぞ!」と関羽。
脇障子は李白観瀑。唐代の大詩人 李太白が 廬山の瀑布に臨み 詩を吟ずる様子です。
「先生 怖い!」「よしよし 大丈夫じゃ」 偉人には童子が付き物。。。
浜床下には波に犀の彫り物。火除けの願いが込められていると言われます。
腰組間の唐獅子の親子。
腰羽目左側は唐子の花ぐるまです。。
左側は唐子の獅子舞。
「あまりにも多く、余白がなく」と形容される彫刻だけあって 写真が多くなってしまったので 続きはまた次回に。
刺青師・龍元
068-01(2024.08.10)
コメント
われわれ日本人 という表現は、外国の日本人ではない御方の作品であれば、その様な表現をしても違和感はないと思いますが、日本で日本人の作品に対しては違和感を感じてしまいます。まぁこの調査団たちは、彫刻がガッツリな社殿は好みではないのでしょうね。
ですよね。いったい何人の作品なのだ?ってなっちゃいますよね。
彫刻ガッツリ系の神社を初めて見てびっくりしたのだ、と解釈しておきましょう。