令和六年七月中旬 山梨県富士川町の高下諏訪神社に参拝しました。
創建年不詳
御本殿彫師 小沢半兵衛
覆屋はかなり厳重で 格子の外側に細目金網。鑑賞はできますが 中は暗いです。
御本殿向拝
ジャーン! 噂に違わぬ 立派な御本殿です。前は格子戸のみなので 腕を伸ばすと綺麗に撮れました。
浜床下蹴込の波千鳥。北斎を思わせる緻密な波です。
向拝中備は龍。
お目目の大きい 可愛らしい龍です。
海老虹梁は松の木です。なかなか珍です。鳥が飛んでます。
御本殿右面
甲州で良く見られる 正面扉が奥まった位置についている御本殿なので その分側面が幅広で 柱間二間。胴羽目も2点に分かれていて 斜めに付いた大きめの脇障子と合わせて3点の彫り物が並んでいます。
左側は二十四孝から頻出の 郭巨です。
「極貧に喘ぐ郭巨が 母を養う為に口減らしに我が子を埋めようとすると 金塊が出て来た。
その孝行心に感じた天が郭巨に与えた物である。以降 一家は幸せに暮らした」って。。。
どんな思いでこの子を育てて行くのだろう。。。金があれば幸せになれるのだろうか。。。
右側の胴羽目は これも二十四孝から 董永。
父が亡くなったが 貧しい董永にはお金が無かったので 身売りをして その金で葬式をした。すると一人の美女が現れ董永の妻となり 絹を織ってたちまち借金を返してしまった。
「私は天の織姫です 貴方の孝行心に感じて天から参りました でも もう帰らねばなりません」
感動のお別れのシーン。
脇障子は これもまた二十四孝から 蔡順。
蔡順が桑の実を採って 二つに分けている時に 盗賊に襲われた。
盗賊になぜ分けているのか問われて「熟した物を母に 熟していない物を自分に」と説明すると
蔡順の孝行心を知った盗賊は 感動して米と牛の足を与えて去って行った。
牛の足は見当たりませんが 米の袋があります。中国では米と言えば袋に入っているのが普通だそうです。
腰組間には唐獅子 その下には唐子遊びの彫り物があります。
左側の唐子は手に花(牡丹?)を持っています。
右側は 唐子の闘犬。
御本殿背面
残念ながら 背面に胴羽目はありません。
2点あったであろう筈の腰羽目は右側が欠損。左側には人物2人。どなたでしょう?
御本殿左面
脇障子のこれも やはり二十四孝だとしたら 祭壇の前に立つこの人物は 庾黔婁でしょうか。
「庾黔婁が医師に父の病状を尋ねると 便を舐めて甘ければ治らず 苦ければ治る と言う。庾黔婁は便を舐めて父の死を悟り 北斗七星(北極星)に身代わりになる事を祈り続けた」
手つきがお焼香しているみたい。まあ祭壇なんで 焼香していても良いんですが。。。北斗七星も無いしなぁ。今まで見て来た庾黔婁とは ちょっと違う感じですね。。。
こちらの胴羽目は2点で1組。
こちらは一目瞭然。美髯公の異名をとる長髭の関羽ですね。
穏やかな顔をしています。
関羽の背後には 諸葛亮。
右側の胴羽目には劉備と張飛。なのでこれは2点で一組 三国志演義の名場面 三顧茅廬 です。
当時すでに将軍として名を上げていた劉備が 軍師を求めて無名で年少の諸葛亮を訪ねたが不在。
三回目でやっと在宅していたが その時 諸葛亮は午睡中。劉備は諸葛亮の目が覚めるまで待ったといいます。
「兄貴 奴ぁ寝てんですぜ 早く帰りやしょう」
今まで見て来た中で 1・2を争うほどに男前の張飛です。
縁下組物間には唐獅子。腰羽目は人物です。
二人とも右の方を指差しているので これも2点で一組かも。
文机にもたれているこちらは どなたでしょう? 寝てる?
さすが名工・小沢半兵衛の彫り物。見応えがありました。
刺青師・龍元
067(2024.08.07)
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