雲蝶終生の大作 [西福寺開山堂 其の三] 新潟県

西福寺開山堂 新潟県
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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新潟県魚沼市の西福寺開山堂の写真撮影が九月末まで可という事を 寺社廻りの師匠に聞いてやって来ました 其の二の続き いよいよ中に入ります

まずは入り口の頭上です

人面瘡

頭上の木彫りは平清盛の「音戸の瀬戸 日招き伝説」です

音戸の瀬戸おんどのせとを切り拓いた清盛ですが 日暮れ前の引き潮の内に終わらせなければならない工事が遅れています

平清盛

清盛は今にも沈まんとする太陽を 扇子をかざして呼び戻したと言います

平清盛

太陽さえも思い通りに動かす程の栄華を誇った清盛ですが 奢る平家久からず この20年後に平家は滅びます

平清盛日招き伝説

その上には雲蝶作 人面瘡の鏝絵 本当に雲蝶は何でもやったんだなぁ

人面瘡

これの出典は分からないのですが 色々伝わる話がある様です 子供の頃 手塚治虫のブラックジャックや横溝正史の「人面瘡」を読んで怖い思いをしました

人面瘡

反対側には「盂蘭盆供養うらぼんくよう」の鏝絵 餓鬼になり苦しんでいた母が成仏する所だそうです

盂蘭盆供養

その下の木彫りは「宇治川の戦いでの先陣争い 池月伝説の佐々木高綱」と説明されていましたが これは日本の侍ではないと思います

玄徳躍馬跳檀渓

頭に被っている物や履き物から考えて これは三国志演義の名場面「玄徳躍馬跳檀渓げんとくうまをおどらせてだんけいをとぶ」暗殺されかかった劉備玄徳が檀渓を跳び越え脱出する場面です

玄徳躍馬跳檀渓

乗る者に祟ると云われる的盧てきろ「汝 今日われに祟りをなすか またわれを救うや」

玄徳躍馬跳檀渓

開山堂 其の一で紹介した阿形の仁王様の後ろには 寒山拾得かんざんじっとくの絵がありました あろう事かピンぼけです 

感動した弟子の彫鈴がまた行くと言うので 鮮明な写真を頼みました その内に差し替えます

寒山拾得

反対側 吽形の仁王様の後ろの絵は 虎と羅漢様と説明されていましたが これは寒山拾得の師匠 豊干禅師ほうかんぜんしだと思います これも両方とも雲蝶作画です

豊干禅師

さて いよいよお待ちかね 雲蝶終生の大作と言われる 有名な道元禅師の天井画

西福寺開山堂天井絵

道元禅師猛虎調伏どうげんぜんじ もうこちょうぶく 製作された時の彩色そのまま無修正だそうです さすが屋内

道元禅師猛虎調伏

道元禅師の修行中 悪虎が現れましたが 禅師は顔色ひとつ変えずに手にした柱杖を虎に投げました

道元禅師

その柱杖は龍となり 虎を追い払いました

龍

他に亀や鯉や猿や鷹などがいます ウォーリーを探せ状態です

虎

前面です

西福寺開山堂

鏝絵はまたまた寒山拾得 その下の木彫りは これまた道元禅師

仏法を求めて中国に渡り 修行を終えて 帰路の船旅での出来事

道元禅師と一葉観音様 寒山拾得

雷神が現れて海が荒れ狂います

雷神

一心に観音経を念誦する道元禅師(なのかな?もしかしたら船首で拝んでいるのが道元禅師かも いや寧ろその方が自然? ではコレは誰?) 〜追記(2022.09.17)案内板を良く読んだら やはり船首で拝んでいるのが道元禅師でした 追記終わり〜

道元禅師

すると蓮華の花びらに乗った観世音菩薩が現れ 嵐は鎮まりました

鏝絵は張果老ちょうかろう瓢箪ひょうたんから駒

一葉観音 龍 張果老

翼を持った応龍がいます 海なのに鯉がいるのはご愛嬌

一葉観世音菩薩 鯉 応龍

逃げて行く雷さま 上の鏝絵は鶴仙人の費長房ひちょうぼうです

費長房 雷神

裏は(というか本来はこちらが表ですが)龍です 亀もいます

西福寺開山堂

扉の上の壁には 九尾の狐伝説三部作(私が勝手にそう呼んでいます)の内の2つ

鳥羽上皇の寵愛を受ける玉藻前の正体を暴く安倍泰親あべのやすちか(説話によっては安倍泰成) 有名な安倍晴明あべのせいめいの子孫です

阿部泰成 九尾の狐伝説 一毫斎文常敬写

玉藻前が正体を表して逃げ出したので 泰親が咄嗟に4色の御幣ごへいを空中に投げると 青い御幣が九尾の狐の後を追って行ったという場面

九尾の狐 玉藻前 一毫斎文常敬写

第二部(私が勝手にそう呼んでいます)で上総介広常に退治された九尾の狐は石に変わりますが それでも毒気を吐き続け 近づく人や動物は皆死んでしまいます

数多の名僧がこれを鎮めようとしますが悉くことごと失敗 

第三部(私が勝手にそう呼んでいます)では討伐されてから二百数十年後の元中/至徳二年(1385) 遂に玄翁和尚げんのうおしょうが妖狐の魂を鎮め 金槌を振り下ろすと石は三つに割れ各地に飛び去ったといいます

玄翁和尚 一毫斎文常敬写

これが金槌の事をゲンノウと呼ぶ由来と言われますが 絵では棒になっています

因みに この絵は雲蝶作ではなく 一毫斎文常敬写 という銘が入っています

実は天井画がメインだと思っていましたが 信じられない事にそれ以上の物があったので(個人の感想です)開山堂 其の四で紹介します

刺青師・龍元

116-04(2022.09.16)

コメント

  1. onijii より:

    onijiiです。
    鏝絵も彫刻も絵も全て凄いですね!
    圧巻の表現力ですねえ。
    躍動感が半端ないです。
    見ているだけで幸せな気分に。(笑)

    • そうですね 惚れ惚れしますね。
      雲蝶は寺社彫刻の範疇に収まっていませんね。越後のミケランジェロとか小さな事言ってないで、もっとアピールして日本に雲蝶ありと言われる様になって良い位ですね。北斎位に有名になってもおかしくないと思います。

  2. Shin-Z より:

    こんにちは。
    龍元さんも早速行かれたんですね。
    私も10日に行ってきましたよ。

    考察が細かくてさすがと思います。
    宇治川の先陣争いは絵馬を何枚か見たことがあるだけだったので、
    一人なのは珍しいとは思いましたが疑問は持ちませんでした。
    全く違う題材だったとは驚きです!

    ところで鏝絵は私にはあまり上手くないように思えます。
    作品として残さない方が良かったのではなどとまで思ってしまいます。

    龍元さんが天井画以上と感じたのはどれなのか気になります!
    私は幽霊が一番のお気に入りです。

    • Shin-Zさんは来ただろうなと思ってましたよ。
      ここのなにが凄いって、刺青の題材と被る物が多いんです。私が天井画以上に凄いと感じたのは特に袈裟御前の生首です。あんなの寺社彫刻じゃ見た事ありません。多分、雲蝶ならではでしょう。雲蝶と当時の和尚との信頼関係が無ければあり得なかったのではないでしょうか。もちろん幽霊も痺れましたね。
      鏝絵は…ふふふ…最初は私も別の人だと思いました。でも、脇にあった清姫や菅原道真なんかも刺青では定番の図柄なので、向拝も含めて全体で凄いと感じました。

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