刺青図柄の意味 玄翁和尚 九尾の狐伝説その三

九尾の狐と玄翁和尚 刺青図柄解説
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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玄翁心昭

源翁とも言う
1329-1400 南北朝時代 曹洞宗の僧

九尾の狐伝説 その三 殺生石

九尾の狐

妖狐・九尾の狐は中国古代王朝・殷の妲己(だっき)として、のちに天竺では華陽夫人として、西周では褒姒(ほうじ)として、いずれも美貌によって王を惑わせて国を破滅に導き、世界中を荒らし回っていた。日本へは平安時代に遣唐使船に乗って渡来したとされる。

妲己

玉藻前

日本では玉藻前(たまものまえ)という絶世の美女に化けて鳥羽上皇の寵愛を受ける。帝の命を奪って日本を我が物にしようと図るが、阿部泰親 によって正体を見破られ逃走した。

安倍泰親 玉藻前の正体を暴くの図
安倍泰親 玉藻前の正体を暴くの図

後に 上総介広常 により討伐されるが、狐は石と化して毒を吐き、近くを通る人間や動物を殺し続けたので、人々はこの石を殺生石と呼んで恐れた。

上総介広常九尾の狐を退治すの図
上総介広常九尾の狐を退治すの図

あまたの名僧がこれを鎮めようとするが失敗、命を落とした。九尾の狐が 上総介広常 により討伐されてから二百数十年後の元中/至徳二年(1385)、遂に玄翁和尚が妖狐の魂を鎮め、金槌を振り下ろすと石は三つに割れ各地に飛び去ったという。

九尾の狐と玄翁和尚

その内の一つが栃木県那須町で今も毒を吐き続け、周辺は立ち入りを規制されている。

また、金槌の事を玄翁(または玄能)と言うのはこの伝説に由来するとの説がある。

刺青師・龍元

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