寺社彫刻では珍しい生首の彫り物 [西福寺開山堂 其の四] 新潟県

新潟県
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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西福寺開山堂が期間限定で写真撮影を許可しているという事を 宮彫り廻りの師に聞いてやって来ました。其の三からの続きです。

天井画も良かったですが 正面欄間には扶桑洞宗鼻祖ふそうとうしゅうびそ吉祥山永平道元禅師行状図 須弥壇しゅみだん(の下の段?)には文覚上人の凄い彫り物がありました

まず 左上の欄間から 説明書きによると これは道元禅師と稲荷大明神

道元禅師は宋国での行脚中 山中で激しい腹痛を起こした

そこへ稲荷大明神が現れ 薬を授けてくださった

薬を受け取る従者の木下道正は 帰国の後 日本漢方の基を築く事になる

欄間中央は説明書きによると 道元禅師と白山大権現

道元禅師が宋での修行を終えて帰国前夜 碧巌録へきがんろくという禅書を発見して一夜で書写しようとする

とても間に合いそうにないが そこへ白山大明神が老人となって書写を手伝ってくれた という話

白山大明神

右の欄間は 説明書きによると 永平寺血脈地縁起えいへいじけちみゃくいけえんぎ

永平寺血脈地縁起

永平寺開基・波多野義重公に仕えていた侍女が 何者かに殺されて池に沈められた

侍女は成仏できず 夜な夜な幽霊となって現れていた

波多野義重に相談を受けた道元禅師

成仏できるように 幽霊に血脈けちみゃくを授ける (血脈とは仏弟子となった証拠の系譜の事)

苦しみから解放される幽霊 

合掌しながら成仏していきます


血脈池の幽霊もシビレたんですが もっと狂喜したのは須弥壇?の彫り物

残念ながら説明書きが無かったので 私の推測になりますが これは遠藤盛遠えんどうもりとお のちの文覚上人でしょう

源平盛衰記に出てくる話で まとめるとこんな感じです

盛遠は親友・源渡みなもとのわたる の妻 袈裟御前けさごぜんに恋をしてしまう
「私は夫のある身です」
と袈裟に拒絶されるが 恋に狂った盛遠は手が付けられなかった
「そなたの母を殺し 我も腹を切る」
脅迫混じりに詰め寄る盛遠に困惑した袈裟はついに言った
「今宵 夫には酒を飲ませて早めに寝る様に仕向けます 夫を亡き者にすればあなたの想いに沿えましょう」

その晩 盛遠は袈裟の指示通りに源渡の寝所に忍び込み 暗闇の中一撃で渡を殺害すると 首を切り落としてそれを抱えて一目散に逃げた 

月明かりの下で首を確認した盛遠は愕然とする

盛遠の持っていた首は渡ではなく、袈裟の首であった 袈裟は渡の身代わりになったのである

己の過ちから 最愛の人を手に掛けてしまい 愕然とする盛遠 

左の武士は源渡でしょうか

その隣は 文覚上人の滝行 刺青では定番の図柄で 寺社彫刻でも数多くはありませんが時々見掛けます

盛遠は己の愚かさと罪深さを悟り 袈裟の首を抱いて鞍馬の山を彷徨った果てに出家

名を文覚と改め ひたすら修行の道へと身を投じます

熊野の那智の滝で荒行をする文覚

さすがの文覚も四日目にはついに気を失い 滝を落下していく所を 不動明王の脇侍きょうじ矜羯羅童子こんがらどうじ制咜迦童子せいたかどうじに助けられます

矜羯羅童子

制咜迦童子

矜羯羅童子

その隣は ?です

盛遠時代の説話でしょうか?

それとも文覚上人になってからの話?

文覚つながりで来たので これも文覚上人の話だと思うのですが。。。


私が天井画以上に感動したのは 袈裟御前の生首です 説話を知らないとただの無惨な場面にしか見えませんね

以前から刺青を彫りたいと思っている題材です こんな意外な所で出会うなんて。。。

芥川龍之介がこの話に取材した「袈裟と盛遠」という短編を 独自の解釈で書いています ネットに落っこちています 10分15分くらいで読めるので是非読んでみてください

西福寺開山堂 まだ他にも良いものがあったので 其の五に続きます

刺青師・龍元

116-05(2022.09.19)

コメント

  1. onijii より:

    onijiiです。
    圧倒されてしまいますね。
    これほどの表現力は凄まじい。
    欄間中央の奥行き感は凄いですね。
    顔の艶にゾクゾクしてます。(笑)

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