刺青図柄の意味 上総介広常 九尾の狐伝説その二

上総介広常九尾の狐を退治すの図 武者絵
上総介広常九尾の狐を退治すの図
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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刺青図柄の意味 安倍泰親 九尾の狐伝説その一 からの続き

上総介広常(かずさのすけひろつね)

生年不詳-1184 

平安末期の武将。鎌倉を本拠とする源義朝(頼朝・義経 の父)の郎党であったが、義朝が敗れると平家に従った。その後、源頼朝が挙兵すると、広常は上総国内の平家方を掃討し頼朝の元に参陣した。

九尾の狐伝説 その二

鳥羽上皇を操って世を欲しいままにしようと企んだ九尾の狐だったが、安倍泰親 に正体を見破られて京から逃げ去った。

17年後、泰親の予言通りに遠く那須野の地で青い幣(へい・ぬさ)が発見されたとの報せが朝廷に届いた。そこでは妖狐が女子供をさらっているという。鳥羽上皇は 安倍泰親 を参謀、三浦介義明と上総介広常を将軍に8万の軍勢を送った。

激戦の末、三浦介の放った矢が狐の首筋に命中。上総介が一撃の下にとどめを刺し、九尾の狐は生き絶えたかに見えた。

上総介広常九尾の狐を退治すの図
上総介広常九尾の狐を退治すの図

直後、狐は巨大な石と化した。石からは毒気が発せられ、近づく鳥や動物はその邪気に当てられ倒れていった。それを見た人々はその石を殺生石と名付け、近寄らなくなった…

刺青図柄の意味 玄翁和尚 九尾の狐伝説その三 へ続く

刺青師・龍元

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