令和六年二月中旬 栃木県足利市の菅東山出世稲荷神社に参拝しました。
正治元年(1199)勧請
御祭神 倉稲魂命
御本殿側に廻ります。
なんと 胴羽目彫刻ではなく画です。
というのは知ってて来ました。
これは神功皇后の「腋盾始」ですね。
腋盾(脇楯とも)というのは 大鎧の右側の大きな隙間をふさぐための防具の事。 三韓征討の時に神功皇后が懐妊していてお腹が大きかったので胴が閉まらず 武内宿禰が他の鎧の草摺で隙間を塞いだのが この防具の始まり という説話です。
胴羽目は外されて下に置いてあります。 上の画の黒く塗り潰された部分は この胴羽目彫刻の開口部から 下地の画が見えない様にする為なのだと思います。 惜しい事です。
物凄く上手い という彫り物ではありません。
上部組物間には龍。これは後付けでしょう。
脇障子は風神?
帽子を被っているので 角の有無が分かりませんが 風袋を持っているので風神なのでしょう。 なかなか個性的な感じ。
背面です。
胴羽目は孔雀の番です。
やはり 胴羽目の開口部に当たる部分が黒く塗られています。
中国風の甲冑を着けた武人と
龍の爪らしきものが見えるので これは「金龍 周の武王を護る」でしょう。
その上の組物間には後付けの龍。
脇障子の裏側は 風神?の背中。
反対側は雷神が来る筈ですが。。。なんかストライプ柄のパンツが見えているのか? 興味津々です。
左面。
胴羽目は唐獅子の親子。
目が見えません。
角度を変えて見ると つぶらな瞳が描いてありました。
こちらもやはり 胴羽目の開口部が塗られていますね。画題は多分 鯉乗り仙人の琴高。波の表現などからしても 本職の絵師の作品だと思われます。本当に惜しい事です。
さて お待ちかねの雷神?を正面から拝見。
こちらも角の有無は分からないんですが 大きい牙がありますので 人間様ではない事は確実です。
なんにしても 日本の方には見えません。
多分 元々身舎には画が描かれてあって 後世に彫刻が流行ったから 胴羽目と組物間の龍 もしかしたら脇障子も 後から付け足したのでしょう。開口部から見えてしまうから 画を塗り潰すなんて。。。他にやりようが無かったのか。。。本当に惜しい事です。
でも 画だけの神社だったら参拝してないんですけどね。
刺青師・龍元
034(2024.04.06)
コメント
下記同感です、特に最後の一文。
開口部から見えてしまうから 画を塗り潰すなんて。。。他にやりようが無かったのか。。。本当に惜しい事です。でも 画だけの神社だったら参拝してないんですけどね。
神社の社名通り、社殿の装飾が 画 から 彫刻に 出世したという事で(笑)
さすが錺さん。上手いですねぇ。
それにしても、落書きですら年月が経つとそれなりに価値が出てきますからね。この塗り潰しも、やりようによっては、歴史的・文化的な価値が見出せるかも知れませんね。