令和五年七月中旬 群馬県桐生市の諏訪神社に参拝しました。
寛文四年(1664)現存奥院造立
大正十四年(1925)現地へ遷座
昭和九年(1934)拝殿改築
御祭神 建御名方神
昭和九年に改築されたという拝殿。
向拝の龍です。
龍の裏には「熊谷市彫刻師光治福島九五」と刻銘がありました。ググると福島光治という彫師がいた様ですが 昭和九年頃は名前と苗字を逆に名乗る習慣があったのでしょうか。九五というのも意味不明。まさか95歳という意味ではないでしょう。
棟梁の橋本さんや脇棟梁の金子さん三宅さんたちは普通です。やっぱり昭和に入ると名前が普通で読みやすくて良いですね 光治福島さんは…よっぽどの変わり者なのか それとも何かの謎かけか?
透き塀の中には立派な御本殿が鎮座していました。
唐破風下には司馬温公甕割がありました。
司馬温公が子供の時 水の入った大甕で遊んでいて中に落ちた友達を助ける為に 高価な大甕を躊躇なく石で割りました。 父親は叱るどころか司馬温公を褒め称えた という話。
中備の龍。
こちらから見るとちょっと変な顔。
案内板には1664年現奥院造立となっていましたが 360年前の彫物にはちょっと見えません。
脇障子は琴高仙人。
琴高は琴が巧みで 河の龍子を捕えると言って水に入り 鯉に乗って現れて人々を驚かせたという 何がしたいのか理解に苦しむ 愉快犯的な仙人。
上から下まで彫物満載です。
胴羽目は鳳凰です。
でも鸞かも知れません。
四隅持ち送りは龍で 体が腰羽目に伸びています。この腰羽目は後付けの様ですね。
脇障子は裏側までしっかりと彫られていました。
背面です。
胴羽目は松に鶴。
なかなか精巧に彫られています。
地紋彫りも凄いですね。
さて 仙人とは無駄な事に全霊を傾ける人達の様ですが 理解に苦しむという点でかなり良いセン行っているのが この鍾離権という人。剣に立って波上を進みます。
何処へ行くのか?なぜ剣に乗るのか?と考えるのは野暮な事かも知れません。
剣乗り仙人には上利剣というのもいますが 鍾離権と同一人物だという説があります。また鍾離権の弟子の呂洞賓もこの術が使えると言われています。
左面です。
二重虹梁間には麒麟とその下は何かの鳥。大虹梁の下は もう足が生えているので これは応龍です。
胴羽目の上には粟穂と鶉。
こちらの胴羽目には松と牡丹があるので 鸞という事にします。
でも鳳凰に牡丹を合わせる事も無い訳では無い様なので やっぱり鳳凰かも知れません。
腰羽目には持ち送りの龍の尾と爪が波間に見え隠れしています。
なかなか渋い御本殿でした。
刺青師・龍元
083(2023.08.20)
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