令和七年六月中旬 埼玉県秩父市の秩父神社に参拝しました。其の二からの続きです。
崇神天皇御代(BC97-BC30)創建
天正二十年(1592)現社殿造営
御祭神 八意思兼命 知知夫彦命 天之御中主神 秩父宮雍仁親王
御本殿・幣殿・拝殿の彩色彫刻も素晴らしかったですが 境内にある二つの額殿にも壮麗な彫り物がありました。
まずは境内奥右側の額殿。

大きな奉納額が三つあり これはその内の一。

額面の文字は消えてしまってますが 下にある墨書き(これも掠れていて所々消え掛かっています)によると 何処かの弓道の流派の奉納額です。

明治二十二年奉額。

昭和四十一年の台風による倒木で飛散したが 後年再現したとの事です。

「再現」というのは幅のある言葉で 一から作り直したレプリカなのか 飛散した部位を集めて修復したのか はこの書き方からははっきりしません。

が 多分 修復したのだろうと思います。

根拠はただ単に古そうだから。

あと昭和四十年代頃には ここまで彫れる人は少なかったのではないかな と思います。思い込みです。

様々な姿態の獅子が彫られてあって 獅子百態といったところ。

唸り声が聞こえてきそうです。

奥には龍が彫られた奉納額がありました。

両脇に大きな龍。

おや この龍には見覚えがあります。

この界隈に沢山の作品を残している名工の龍に似ています。

境内左奥にも額殿がありました。

こちらは奥の額。甲源一刀流の奉納額です。

こちらの龍も素晴らしいです。

この龍たちも この界隈でよく見かける名工の龍に似ています。

こちらの龍は背鰭が 魚のそれの様になっています。

これだけ龍を彫ると変化をつけるのも大変です。

こちらの龍は鱗の形に一工夫。

積み上げた煉瓦の様な四角い形です。




こんな鱗の龍は以前にも見た事があります。
こちら↓は近くの三峯神社手水舎の龍。

こちら↓は東松山市の大雷神社の社号額。

↓同じく大雷神社御本殿海老虹梁の龍。

↓川越市の的場八幡神社御本殿向拝柱の龍。

↓横瀬町の中郷諏訪神社御本殿向拝柱。

↓横瀬町の宇根八坂神社唐破風下。

三峯神社手水舎と 大雷神社御本殿は 飯田岩次郎彫という事が分かっている様です。
手前は 全関東銃劍道親善大會記念の額。

こちらは昭和四十四年と額面に墨書してあるので その頃の彫り物でしょう。

龍。

秩父神社は平日でも沢山の人がお参りしていますが 幸いな事に額殿にはほとんど人が来ません。でも 写真を撮っていると人が集まって来てしまいます。仕方なしに人の居ない反対側の額殿に行くと そちらにも人が集まって来てしまいます。
右奥額殿にはお神輿が置いてあり それにも天岩戸らしき胴羽目があったのですが 右に行ったり左側に行ったりしている内に撮るのを忘れてしまいました。

秩父神社はこれで終わりです。
刺青師・龍元
066-03(2025.11.05)


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