胴羽目四点 中国四千年の歴史 [鷲宮神社] 埼玉県

鷲宮神社御本殿 神社仏閣
プロフィール

彫師歴三十余年。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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令和八年四月中旬 埼玉県羽生市の鷲宮神社に参拝しました。

鷲宮神社鳥居

由緒などの詳細は不詳ですが 御祭神は 天日鷲命あめのひわしのみこと と思われます。

鷲宮神社

御本殿覆屋はしっかりとした造りで 格子付き透明ガラス窓から御本殿を拝観する事ができました。

鷲宮神社御本殿覆屋

立派な御本殿が鎮座しています。

鷲宮神社御本殿

二間社流造りの御本殿には 胴羽目・腰羽目・脇障子に大きな彩色彫り物があります。

鷲宮神社御本殿

右側胴羽目は 虎渓三笑こけいさんしょう

虎渓三笑

浄土宗の始祖の慧遠法師えおんほうしは廬山の寺にこもって 虎渓よりも外には出ないと誓っていました。

慧遠法師 と陶淵明か陸修静のどちらか

ある日 詩人の陶淵明とうえんめいと道士の陸修静りくしゅうせいが訪れて 慧遠法師がその帰りを見送るときに話に夢中になって いつの間にか虎渓に架かる橋を通りすぎてしまった。

虎が吠える声を聞いて 初めてそのことに気づき 三人で大笑いをしたと伝わります。

陶淵明か陸修静のどちらか

3人とも1,600年くらい前に活躍した人ですが 西暦406年生まれの陸修静に対し 慧遠法師は416年没なので 実際にこの3人が会って話をした事は無いと思われます。

腰羽目は 波に龍。

龍と龍宮?

これで海女がいれば 玉取り姫なんですが 背面・左面にもそれらしき人物は見あたりません。

背面には 二間社なので胴羽目と腰羽目が二点づつありました。

鷲宮神社御本殿

左側胴羽目は 釣竿があるので 呂尚りょしょう太公望たいこうぼう だと思います。

太公望

呂尚は「天下を釣ろうとしている」と うそぶいて 名君・文王をして「我が太公(祖父)がんでいた人物」と言わしめた人物。

この人は紀元前1,000年頃の人なので 3,000年ちょっと前の人ですね。

右側胴羽目は 菊慈童きくじどうです。

菊慈童

慈童じどう穆王ぼくおうの寵愛を受けますが 謀られて深山幽谷に流刑になり 菊の葉の露を飲んで不老不死の仙人になりました。

菊慈童

穆王の在位期間は 紀元前976−922 なので 菊慈童は3,000年近く前の人ですね。不老不死なので現在もまだご健在なのだと思います。

腰羽目左側。胴羽目の様に大きく 内容的にしっかりした説話を想像させますが 分かりません。

どなた達でしょう?

この人は鉢巻をしているのかな? それとも元服前の前髪?でもお髭が生えているから違うか。

どなたでしょう?

何にせよ 雲に乗っているので 常人ではありませんね。

右側は左側と繋がった話なのか 全然別の話なのか。。。

どなた達でしょう?

小舟に乗ったオジさん二人。

どなた達でしょう?

覆屋左側には窓が やや前方に一間しか無かったので 斜め前からのみの鑑賞になります。

鷲宮神社御本殿

胴羽目は 許由きょゆう巣父そうほ

鷲宮神社御本殿胴羽目

二人とも変人として名を馳せた 4,400年位前の人です。

許由と巣父

堯帝ぎょうていに帝位を譲ろうと言われ「穢らわしいことを聞いた」と 川の流れで自分の耳をすすぐ 偏屈な許由。

許由

許由が耳をすすいだ川の水を 牛に飲ませる訳にはいかない と来た道を引き返す 巣父。

巣父

こちらもかなりの偏屈です。

腰羽目です。

鷲宮神社御本殿腰羽目

宝塔みたいな物と言い 小舟と言い 右面背面腰羽目との続き物を思わせます。

どなた達でしょう?

この女性(多分?)は着物の合わせが右前です。何か意味があるのでしょうか?

どなたでしょう?

驚いた表情に見える男性。

どなたでしょう?

脇障子は両側裏表ともに 鳥だったので割愛いたします。

鷲宮神社御本殿

超絶技巧の白木の彫り物も良いですが 古びた彩色彫り物も良い物です。特に画題が分からない物は 常に頭の片隅から離れません。

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刺青師・龍元

039(2026.07.31)

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