令和元年神無月吉日、長野県安曇野の有明山を御神体とする有明山神社に参拝しました。天岩戸伝説で手力男命が投げ飛ばした岩が有明山になったと伝わります。
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由緒
御祭神
手力男命(たじからおのみこと)
八意思兼命(やこころおもいかねのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
天照大神(あまてらすおおかみ)
天鈿女命(あめのうずめのみこと)
金毘羅権現(こんぴらごんげん)
御神体 有明山
東向き
有明山の山頂には奥宮があるそうですが、私は膝が悪いので里宮のみの参拝。
裕明門
参道を行くと裕明門と呼ばれる隋神門が見えて来ました。実はこの門には立川流の素晴らしい彫り物が満載なのですが、物凄い量の彫り物なのでこれはまた次回に。
拝殿
拝殿については建造年・彫師などはわかりませんでした。
拝殿向拝の水引虹梁には天岩戸の彫り物がありました。右に座っているのは猿田彦命、その左で両手を広げているのは天鈿女命かな。左には太鼓を打ち鳴らす神。
真ん中やや左に岩戸に隠れた天照大神と扉の岩をこじ開ける手力男命がいますね。
笛や笙などで音楽を奏でる神々と、その右には時を告げる常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)がいます。
手水舎
手水舎にも素晴らしい彫り物がありました。
建造年はわかりませんでしたが、裕明門が明治三十五年(1902)建立となっているので、同じ頃なのではと思います。
彫師は山口権之正(やまぐちごんのかみ)。年代が新しいからか記録がかなり詳しく残ってますね。しかも、写しが公開してあるなんて、愛好家としては嬉しい限りです。
虹梁に彫り物があります。
虹梁も素晴らしかったですが、何と言っても圧巻は天井の龍。
追記19.10.09 龍の右前足の辺りに彫られた落款。山口権守と彫られています。調べると山口権守というのは受領名で、本名は藤原宗次。飛騨の名工・山口権守(権之正)こと山口権蔵藤原宗次という人だそうです。
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受領名というのは江戸時代、役所へ届け出て京都の偉い人から許しを得て名乗る事の出来る、権威のあるものだった様です。「名字帯刀を許された〜」って感じでまあ言ってみればブランドみたいなものです。江戸時代には町人は名字を名乗る事が憚られた時代がありましたからね。でも、この人は明治時代の人。この頃には一般人も普通に名字を名乗っていましたから受領名を名乗る人はほとんどいなかったとか。 ー追記終わり
拝殿も手水舎も彫刻が見事でしたが、次回はいよいよ裕明門。十二支や二十四孝に取材した立川流の見事な彫り物が満載です。お楽しみに。
刺青師・龍元
コメント
ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな
ひふみよ祝詞の内容については寡聞にして良く知りません。