令和五年三月下旬 埼玉県本庄市の金鑽神社に参拝しました。
宝永年間(1704-11)金鑽神社炎上 日枝神社に合祀
宝暦年間(1751-64)金鑽神社 旧社地に遷座再興 本殿造営
明和四年(1767)日枝神社 現本殿造営
明治四十一年(1908)日枝神社に金鑽神社を合祀 社号を金鑽神社と改める
拝殿内部は非常にすっきりとしています。
御本殿が二棟あるのが見えます。案内板によると流造りが金鑽神社 春日造りが日枝神社との事。
右側の御本殿。左面に胴羽目彫刻は無さそうです。
裏に廻ります。
ナント 窓ガラスがペンキで塗りつぶされたかの様に変色していて 中が全く見えません。
それでもスマホカメラの小さなレンズなら 窓の端の比較的透明な箇所から中を窺う事ができました。
でも透明度が低くて 何が彫られているのかは良くわかりません。白い線は多分蜘蛛の巣の残骸ですね。
背面の窓もかなり不透明ですが デジイチ使用可でした。
どうやら春日造りの御本殿の様なので こちらが日枝神社。脇障子は両側ともありません。
胴羽目は唐獅子牡丹。
わずかに彩色の痕跡が残ります。
隣にある こちらの御本殿は流造りなので金鑽神社という事になります。脇障子があります。
胴羽目は李白観瀑。
こちらも左面には胴羽目彫刻がありませんでした。
前から覗くと 向拝には龍の彫り物があり 右面にも何かの胴羽目彫刻がある様でした。
右面の窓は残念でしたが 胴羽目がなんとか二面見られたので良かったです。
刺青師・龍元
042(2023.04.20)
コメント
onijiiです。
えーっ!
こちらの胴羽目を確認されたのですか!!
凄い!!!
流石ですね。胴羽目探求道素晴らしいです。
自分は何の疑いもなく、諦めました。(笑)
onijiiさん こんにちは
ハイ、確認しました。
肉眼で見えなくても、レンズをあてがうと見えるという事は良くあります。穴や隙間があればスマホ、波板もスマホ、高い位置にある窓は自撮り棒で… スマホは僕の目です。
見える事が分かれば、あとはデジイチで写るかどうか… 色々工夫している内に探求道の深みにハマっていきます。
でも、onijiiさんの方こそ換気口から覗いたりして、なかなかの変態(褒め言葉)という評判ですよ。