令和四年六月中旬 群馬県渋川市の甲波宿禰神社に参拝しました
宝亀二年(771)創祀
天明三年(1783)浅間山噴火で社殿が焼失
天明五年(1785)現在地に遷座再建
主祭神 速秋津彦命 速秋津姫命
向拝の龍
目玉が描いてあります
木鼻の獅子 阿形
吽形の口も僅かに開いていますね
海老虹梁の龍もお見事
こちらの龍は木目を活かした目玉の様に見えますが よく見るとやはり木目とは違う場所に墨で目が描いてありました
右側の海老虹梁です
精悍な顔つきの龍 に見えます
が こちらから見ると パンチを喰らった瞬間のボクサーの様な顔
手挟みには葡萄に栗鼠がありました
子孫繁栄の吉祥図柄と言われます
脇障子には 米俵を担いで本を読む人物の彫り物
米俵の結び方の見本になりそうな程に 丁寧に彫られています
裏側も手を抜いていません
俳優でよく似た人がいますが 名前を思い出せません
これは二十四孝の仲由で間違いないと思うのですが 反対側の脇障子を見るとどうなのか
反対側の脇障子は 玉座に座った偉そうな人
実はこの人には見覚えがあります
埼玉県神川町の阿保神社の胴羽目に よく似た彫り物があるのです
↓米俵を担いだ人と玉座に座った偉そうな人
↑麒麟がいるのでコレは孔子関係の話かな〜 なんて事を彫刻巡りの師匠と話していましたが 二十四孝の仲由は孔子の弟子です おお!なんか繋がって来たぞ‼︎ コレは孔子なのか?
松山ケンイチに似ている様な気がします
裏側も丁寧に彫られています
御本殿にも立派な彫り物がありましたが 写真が多くなったので また次回紹介します
刺青師・龍元
085-01(2022.07.01)
コメント
彫刻巡り病 と 画題解読病 私も同じ症状ですが、龍元さんは凄いですね。
脇障子の画題解明、ゴールは近そうですね!!
海老虹梁の 龍と波、手挟みの 葡萄に栗鼠 は素晴らしいですね、これだけでも見に行く価値はありますね、この気持ちも 彫刻巡り病 の人にしか分からないのでしょうね。
「孔子 仲由」で検索すると「二十四孝」で知っている仲由とはまるで違った人物像が浮かび上がりますね。よりハードボイルドな感じで、彫刻にはマッチしてますが、肝心の元絵が見つかりません。色々な処で違う彫師が手掛けている訳ですから、必ずネタ元がある筈ですよね。
蝦虹梁の龍と波。やっぱりこの波には要注目ですね。手挟みの葡萄に栗鼠も大きくて感動ものでした。
onijiiです。
自分も葡萄に栗鼠見に行きたいです。
米俵も素晴らしいですね。
米俵は60kgですが、本を読むとは
凄い力持ちですね。(笑)
調べると仲由は孔子の弟子の中でも武闘派らしいですね。二十四孝で描かれる仲由は金持ちが食卓の前で泣いてるイメージですが。
因みに私の祖母は終戦直後に闇市から米俵1俵を担いで帰って来たらしいです。食うや食わずの時代の人は凄いです。
こんばんは。
こちらは未訪でしたか!少し意外な気がします。
脇障子の彫刻、全く見当も付きませんでしたが、仲由と孔子の可能性が高いのですね!仲由は裏(?)二十四孝の一人ですから彫刻は少ないですよね。私は稲敷市の大杉神社でしか見たことがありません。さすがとしか言い様がありません。本当にありがとうございます。私も元絵を探してみましたが見付かりませんでした。もう少し頑張ってみようと思います。
裏二十四孝ですか!上手い事言いますね。私は準レギュラーとか補欠とか言ってました。
この絵はここの他、阿保神社と氷室山神社と法峰寺山王堂にありますから、きっと元ネタがあるはずですね。私も引き続き探しますが、Shin-Zさんもお願いします。