令和三年十一月中旬、山梨県甲府市の黒戸奈神社に参拝しました。
創建年代不詳
御祭神 大山祇命
拝殿は無く、御本殿の周りに瑞垣が廻らされているだけの社殿。
彫り物は向拝に少しと胴羽目と脇障子だけのシンプルな造りです。
社殿の鮮やかな紅白の彩色は割と最近の物と思いますが、塗る時にはマスキングではなく、外せる物は外して塗ったのでしょう。綺麗に塗り分けられています。プロの仕事と思われます。
背面には彫り物は無しです。
向拝。少し奥まった位置に扉がありますが、ここら辺の傾向でしょうか。
兎ノ毛通しには応龍です。
唐破風下には鯉の彫り物。胴羽目とは違う人の仕事の様に思います。
木鼻の獅子はだいぶ傷んでます。
右面胴羽目は玉巵弾琴、脇障子は鶴です。
白龍に乗って四海を飛遊する玉巵は西王母の末娘です。
玉巵がその一弦琴を奏でるとたちまち沢山の鳥が集まり聞き惚れると云われます。
若く絶世の美女と伝わります。ん?角度が悪い?
太真王の妻である事から太真王夫人とも呼ばれます。
実際の彫りの深さよりも遠近感を感じるのは、彫りの技術もありますが、構図の巧みさが大きいと思います。
左面胴羽目は菊慈童、脇障子は鶴。右面と同じく非常に洗練された構図です。
帝の枕を跨いでしまった罪により、慈童は山奥に流されます。
哀れに思った帝は、密かに偈(仏の功徳をほめたたえる詩)を書いた枕を与え、毎朝礼拝する様に言いました。忘れない様に偈を菊の葉に書き付ける慈童。
その葉から滴る露を飲んで、慈童は不老不死になりました。
フィルターを掛けている訳ではなく、木洩れ陽がちょうど慈童にスポットライトが当たっているみたいで良い感じの写真になりました。
芸術なんて言葉の無かった江戸末期には、お金や名声を追い求めるより前に、ただひたすら技術愛から腕を磨く職人が居たと聞きます。
いつ頃の造営かは分かりませんが、名工中の名工の仕事だと思います。
刺青師・龍元
155(2021.12.08)
コメント
onijiiです。
地図を見るとかなり山の中のようですが、
大事に守られていますね。
地域の人々の信仰心を感じます。
様々な分野の当時の職人さんの技量の高さ
は、目を見張るものがありますね。
江戸時代は装飾彫刻が大流行したんですね。
各県とも数十か所以上もあり、嬉しいです。
彫り師の違いによる多様な作風が楽しめます。
貴重な文化財を気軽に、しかも無料で鑑賞
できるとは、とてもありがたいですね。
いい趣味に出会えました。(笑)
本当に山奥です。幅員の狭い峠道を何キロも走ると突然集落が現れます。この後も峠越えで山の反対側を攻めようとしたのですが、ナビに載ってる道が災害のため通行止めとなっていて、グーグル先生に道を尋ねようにも電波が圏外になっていたので、この時は諦めました。
ここの彫り物は元々近隣の金櫻神社の為の試作品だったと地元の人が言ってました。金櫻神社の彫り物の方は燃えてしまったそうです。
無料ですが、調べて脚を運ばなければなりませんね。私は調べるのは人任せにしてしまってますが。