令和三年二月、群馬県伊勢崎市の八斗島稲荷神社に参拝しました。
天正年間(1573-92)創建
御祭神 倉稲魂命 大宮姫命 大田命 大己貴命 保食命
裏へ回ります。
凄いです。何が凄いって胴羽目はもちろんの事、脇障子や腰羽目にまでメインになり得る画題を持って来ている事。しかもそれが物凄く上手いです。これだけの彫り物が彫師不詳なんて。。。
右面胴羽目は三国志から、三顧の礼。
腰羽目には二十四孝から六枚。
背面胴羽目は三国志から、趙雲を追う曹操軍。
縁下持ち送りだって手を抜いていません。
左面胴羽目は三国志から、逃げる曹操軍。
向拝水引虹梁上には定番の龍です。
龍の顔の右側の塊に銘がありますが、他にも至る所に銘が彫ってあるので、これはきっと寄進者の銘でしょう。
反対側から。
よく見ると子引き龍でした。持ち送りは波に亀。
木鼻の獅子も良いです。
右木鼻の獅子の鞠は籠彫りになっています。
正面扉脇板は昇り降りの龍です。
こちらは巻き毛。
脇障子の上にも彫り物がありました。こちらは右側脇障子の表側。巻き毛です。
右側脇障子の裏側。翼のある龍は応龍とか飛龍と呼ばれます。
左側脇障子裏側。一説によると、龍が二千年生きると翼の生えた応龍になると云います。
左側脇障子表側。でも神社の彫刻を見る限り、鯉→化け鯉→応龍→龍 という順番の様な気がします。
さらに化け鯉や応龍にも段階があり、ヒレがすでに翼になっている後期型化け鯉、尻尾がまだヒレの前期型応龍、もう尻尾が龍に成りきっている後期型応龍などがあります。ここの応龍は二つとも前期型です。
…って全部ただの私の考えです。
胴羽目や腰羽目にも精緻な彫り物がありましたが、写真が多くなり過ぎてしまったので三回に分けます。次回は三国志に取材した胴羽目と脇障子の感想を書きます。
刺青師・龍元
046-01(2021.03.17)
コメント
onijiiです。
こちらも素晴らしい彫刻ですね!
化け鯉ゾクッときます!!
伊勢崎、太田、本庄、深谷市など
銅街道の終着点の境平塚の周辺は、
胴羽目彫刻が大流行した地域ですね。
銅街道の彫り師たちが競い合って
彫ったのではないかと想像してます。
胴羽目好きにはたまらないですね。
この辺りは数も凄いですが、質も高いですね。
きっと発注する神社側も目が肥えていたのだと思います。
それから社殿を大事に守って来た歴代の氏子さん達も凄いですね!
やっぱり地域的な意識の高さみたいな事もあるのだと思います。
こんにちは、Kyoです。
久々に私が参詣したことのある神社が取り上げられてとても気持ちが昂りました!
夏場に行ったこともあり蚊と戦いながら彫刻を観たのですが、状態が良好ですし、どこを観ても写実的で緻密な素晴らしい彫刻ばかりで、強く感銘を受けつつ社殿の周囲をぐるぐる…あっという間に1時間も経っていました。
当時は寺社彫刻の知識がほぼ皆無で三国志を目的に参詣したため、龍元さんから見た八斗島稲荷は私目線で気付かなかったことや見落としていた箇所が多々あり、改めてもう一度足を運びたいと思わされました。龍の彫刻1つをとっても本当に奥が深いですね
もしご存知でしたら無視していただきたいのですが、由緒によれば八斗島稲荷神社の社殿は明治四十三年(1910)に洪水の被害を受け、八郎神社(伊勢崎市福島町)の社殿を譲り受け移築し今日に至るそうです。八郎神社の時にすでに彫刻が施されていたのか、移築後なのかは調べても分からずでした。
Kyoさん、コメントありがとうございます。
遠方にある神社には中々行けないので思い入れもひとしおでしょうね。良い彫り物は何回見ても良いですし、見るたびに新しい発見がありますね。この近くは良く通るのでまた参拝したいと思います。
ここの由緒書きは読みました。創建年と彫刻の製作年をチェックしていますが、私もわかりませんでした。