令和二年五月吉日、長野県佐久市の御幸神社に参拝しました。
横の空き地で焚き火(多分、お焚き上げではないと思う)をしているオジさんがいたので、挨拶をして車を停めさせてもらいました。
御由緒
創建年代不詳
大正二年(1913)上中込の住吉神社を合祀
御祭神 健御賀豆知命 天子八根命 表筒男命 息長帯姫命
西向き
御本殿
大きな彫り物は左右の蝦虹梁・胴羽目・脇障子にあり、背面や腰羽目には彫り物はありませんでした。覆屋の金網の目は大きめ。
右面
蝦虹梁には龍。巻き毛の龍は私の好みです。
胴羽目は馬師皇でした。
脇障子。怪鳥を退治しているこの人は誰でしょう?怪鳥と言えば、隠岐次郎左衛門広有の以津真天退治がありますが、この彫り物は中国風か日本神話風の衣装ですから違いますね。
私が熱心に写真を撮っていると、オジさんは興味津々という感じで近づいて来ました。私が「スゴイ彫刻ですね〜」と言うと、
「彫刻?」という返事。
「これ多分、三国志か何かの場面ですよ、江戸時代か明治の頭の頃の彫刻でしょうね〜スゴイですよね!」
するとオジさんは隣の家の中へ向かって
「オカアさんオカアさん!三国志だって!」
オカアさんの他に更に近所の人も加わって、ちょっとした騒ぎになりました。
「何かあるの?アタシ、中見た事ないわ…」
左面
胴羽目は九尾の狐。服が中国風なので、多分、殷の妲己か西周の褒姒だと思います。
九尾の狐は日本では玉藻前伝説で有名ですね。以前、玄翁和尚 九尾の狐伝説その三 という記事で簡単にまとめたので、良かったら読んでください。
明らかに北斎のこの絵を下敷きにした物と思われますが、舞台をインドの天竺から中国に置き換えたのでしょう。下の絵は舞台が天竺で「普明長者が切りつけると、華陽夫人は金毛九尾の狐となり、東の空に消えた」という場面。
オジさんには三国志と言ったのですが、調べると「妃の妲己が実は九尾の狐であった」という設定は封神演義の様です。
封神演義は中国の古い話で、私も色々調べているのですが、ググっても漫画の方に負けてしまって中々詳しい事は分かりません。
脇障子は反対側と同じく怪鳥と武人。もしかしたら、封神演義にこう言う場面があるのか?
栃木県の浅間神社や浅田神社の胴羽目で、切断された怪獣の頭と武人の構図があったのですが、もしかしたらこの怪鳥を退治して頭を切断して。。。なんて場面じゃないのかなぁ。。。想像が膨らみます。
「歴史の本か何かに載ってるの?」と、オジさん。
「いえいえ、もう歴史に埋もれてしまって、今じゃ神社の彫刻なんてダ〜レも、見向きもしませんよ」
オジさんは残念そうでした。。。
オジさんの気持ちも解らないではないですけど、人の評価じゃなくて自分がどう思うかが大事だと思うんですよね。
刺青師・龍元
112(2020.05.29)
コメント
左の胴羽目と元画像と思われるものはドンピシャですね。
中国系の調べ物はグーグル先生で調べても漫画のキャラに負けてしまう のは同感です、
人の評価ではなく自分がどう思うか も同感です、でも人の評価も大事だと思います
過疎地では人口減少や生活環境・信仰心の多様性で社寺自体の存続も危ぶまれているので彫刻の保護など論外ですが、評価が上がれば、保護されて劣化速度を抑える事ができるメリットがあると思います。アイドルや有名人が彫刻に興味を持ち、SNSにアップしたら、その方たちの信仰者も興味を持ち始めると思うので、彫刻が認知されるのかなぁと思っています。それはそれで新たな弊害がありそうなので問題ですが。
保護という観点からは、その通りですね、人の評価は大事です。
ただ、そのオジさんは「有名な物が自分の庭先に有ったのか‼︎」っていう勢いだったもので、私の趣味を説明して同好の友人も何人かいるんですって話したら、明らかにガッカリしていたので。。。まあ、興味の無い人にとってはそんなモンですよね。