令和元年長月吉日、千葉県船橋市神保町の須賀神社を訪ねました。結構車通りの激しい道路の脇に鎮座しています。追記あり
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由緒
御祭神 須佐之男命
創建は分かりませんでした。北向きの神社です。
どこもそうですが、境内はひっそりとしていて時間が止まっているかの様です。
社殿
社殿は本殿のみです。
本殿東面
ここは脇障子が斜めについていて横から見える様になっています。
胴羽目は西王母。
脇障子は鶴仙人の控鶴仙人(こうかくせんにん)。顔が半分欠けてしまってます T^T
本殿西面
構図の左にいるのがカエルで、上から下がっているのが柳の葉だとすれば小野道風かなと思います。書の達人で花札の雨の札になってる人ですね。でも、人物の服装が中国風にも見えるので、もしかしたら違うかも。カエルが妙にデカイし。。。
小野道風
ー追記(2019.12.13) やはり、これは小野道風ではなさそうです。元になったと思われる絵を発見しました。私は古文は分からないし、草書や崩し字は読めないので内容は分かりません。右ページの一番左の行の人物の名前と思われる、馬◯。一応読み仮名が振ってありますが、ハダイなのかハグイなのか。。。カエルの上に書いてある「候先生」でググると中国語のサイトでは沢山引っかかりますが日本語のサイトはそれらしいのが見つからなかったので、現在の日本では廃れてしまったが中国ではまだ語り継がれている誰か偉い人だと思います。。。今度中国人の友人に聞いてみよう。追記終わりー
ー更に追記(2019.12.14) 早速、中国の友人に聞いてみたら、コレは馬元(ばげん)だろう、との事でした。なる程、元と書いてあるのか、フリガナに惑わされてしまった。
ウィキペディアによると馬元とは中国の古い書物の封神演義の登場人物。「申公豹に頼まれて商に加担した。頭の後ろから一本の腕を伸ばして人間を食べてしまう。文殊広法天尊の計略にかかり殺されかけるが、仏縁があったため準提道人によって西方に連れて行かれた。」となっています。追記終わりー
ー更に更に追記(2020.01.21)更に探求を続けていると、どうやらこの馬元はタダの脇役で主役は蝦蟇の候先生の方でした。「候先生は普段は人間の姿で薬を売り歩いているが、ある暑い夏の日に蝦蟇の姿で水浴びを始め、驚いた馬元に『この薬を飲むと100歳まで生きられるよ』と話した」という内容の様です。う〜ん、奥が深い。追記終わりー
脇障子は鯉の滝登り。
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背面には彫り物はありませんでした。
全体的にあっさりとした印象の彫り物でしたが、西面と東面は明らかに違う手による彫刻ですね。西面は彫り物が専門ではない方の作品と思われます。
刺青師・龍元
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