令和元年霜月吉日、茨城県龍ケ崎市の愛宕神社を訪ねました。社殿は古墳跡地と伝る小高い丘の上にあり、地域を一望する事ができます。追記あり2019.12.13 2022.11.15
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![愛宕神社鳥居](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/38c7fb14-1024x1024.jpg)
神社の向こう側が少し低くなっていて中学校があるのですが、ここは人っ子一人いないちょっと寂しい場所。警察官立寄所となっています。
![愛宕神社鳥居](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/d4e0803c-1024x768.jpg)
由緒
寛永十八年(1641)創建
宝永五年(1708)社殿再建
祭神 迦具土命(かぐつちのみこと)
昭和三十五年(1960)平成十七年(2005)修築
南東向き
![愛宕神社案内板](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/de93d036-1024x768.jpg)
本殿
![愛宕神社本殿](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/390c9261-805x1024.jpg)
北東面(向かって右側)
上部琵琶板には 松に金鶏。
![松に金鶏](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/8adfd1ad-1024x768.jpg)
胴羽目。多分、中国系の物語。三国志なのかな。
![右側胴羽目](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/58daec43-1024x768.jpg)
ー追記2019.12.13 どうやらこれは太公望の「覆水盆に返らず」。絵本写宝袋という古い本の第七巻にそっくりな絵がありました。
![太公望 覆水盆に返らず](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/f14dcce8-1024x666.jpg)
呂尚の妻は、本ばかり読んでウダツの上がらない亭主に愛想を尽かして出て行った。妻は呂尚が出世した後にヨリを戻しにやって来るが、呂尚は杯の水をこぼして「一度こぼした水は杯には戻らないだろ」と言って復縁を拒否した、と言う話。でも、羽目板彫刻には元妻がいないのはなぜだろうか?追記終わりー
床下琵琶板には男の中の男 唐獅子牡丹。
![右側床下琵琶板](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/027b1b1a-1024x768.jpg)
北西面(背面)
上部琵琶板には 松に鷹。
![上部琵琶板](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/6991f9fa-1024x768.jpg)
胴羽目は 金龍 周の武王を護る。
![背面胴羽目](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/24575b5b-1024x768.jpg)
ー追記(2019.12.13) こちらは胴羽目彫刻では定番の画題ですが、これも同じく絵本写宝袋の第七巻にそっくりな絵があったので、明らかにこの本を下敷きにしたのだと思われます。
![金龍 方相から周の武王を護る](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/0e7857f5-1024x678.jpg)
追記終わりー
床下琵琶板には 親子猿。ノミ取りしてんのかな。
![背面床下琵琶板](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/fd719088-1024x768.jpg)
南西面(向かって左側)
上部琵琶板。これは首が長めだから雁かな?もしかしたら鵞鳥かも。
![上部琵琶板](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/04a758ac-1024x768.jpg)
胴羽目は 馬に乗った武人と牛を連れた老人。これも中国系ですね。
![左面胴羽目](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/76046754-1024x768.jpg)
表情が本当に豊かでサイコーです。武人が老人を指差して何か小言を言っている様に見えますが、よく見ると手にはペンの様な物を持っています。何をしている所なのか。
![左面胴羽目](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/58f641a5.jpg)
ー追記(2019.12.13) こちらも絵本写宝袋の第七巻にそっくりな絵がありました。
![寧戚と桓公の出会い](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/3614d42a-803x1024.jpg)
鎧を着ているのが桓公(かんこう)で、牛を連れているのが寧戚(ねいせき)。仕えるに値する人物かどうか、わざと見すぼらしい格好をした寧戚が桓公を試す場面だとか。。。
出典は史記の様です。昔の人はみんな中国の古典を読んでたんだろうな。追記終わりー
〜追記(2022.11.15) 石碑には宝永五年(1708)現社殿再建となっていましたが、橘守国の絵本写宝袋という本は1720年成立の様ですので、この本を元絵にしたのだとしたら、再建年が1720年以降、もしくは胴羽目彫刻は後付けという事になります。でも絵本写宝袋のさらに元になった絵があって、その絵を元絵にした可能性はあります。追記終わり〜
床下の琵琶板。豹の様に見えますが、虎なんでしょうね。江戸時代には豹はメスの虎だと信じられていたと云う話もありますから、ひょっとしたら豹かも。
![左面床下琵琶板](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/54a6cb3c-1024x768.jpg)
龍ケ崎市観光物産協会のサイトによると昭和35年と平成17年に修築となっています。どこまで修築したのかわかりませんが、300年以上前の彫り物としては素晴らしい保存状態です。
![本殿覆屋](https://ryugendo.tokyo/wp-content/uploads/2019/12/a746b509-1024x768.jpg)
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夢中で写真を撮っていたら背後に気配がして、振り向くとカメラを持った人が。。。
思わず「ハッ」と声が出てしまった。こんな寂しい場所でビックリさせんなよ、声くらい掛けろ‼︎
気を取り直して、「こんにちは」と言ってみたが、その人はそのまま素通り。彫刻愛好家でもないらしく、神社の写真を四、五枚撮って、近くの巨木を撮って、中学校の方へ消えて行きました。
口がないのかよ。山とか神社とかでは人に会ったら挨拶くらいはするもんだ。
刺青師・龍元
コメント
ご無沙汰しております。彫刻の題目の意味を調べ、すぐにヒットすれば良いですが
中国系に関しては、何で検索してよいのかのキーワードも浮かばないので苦労しておりましたが
(最近はほとんど意味調べをしていませんが・・・、神社巡りが出来なくなった老後の楽しみと思っています) こちらの中国系の彫刻と、元となる絵はドンピシャですね、さすが、龍元さん!!
挨拶は大切な事ですね、知らない人でもその一言を交わす事で繋がった気分になります。
知っている仲でも挨拶できない人は多くいます、
私の会社では、役職が上の人には挨拶をするけど役職が下の者に対しては自分からは挨拶しないという管理職が多くいます、管理職の条件なのか?と思うくらいです。愚痴になってしまいすいませんでした。
ご無沙汰しております。
最近、刺青の下絵集を出そうと計画していて、ネットでいろいろ古い文献を漁っていて発見しました。大学のデジタルアーカイブなんかで浮世絵や狩野派絵師の資料が公開されています。本当に良い時代になりました。
下の人間に自分から挨拶しないなんてひどいですね。挨拶と上下は関係ないですよ。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言いますし、多分、役職が上であっても中身の無い人達なんでしょう。