大工棟梁は大隅流の矢崎久右衛門元形 [産泰神社 其の一] 群馬県

力神さま 神社仏閣
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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令和五年二月下旬 群馬県前橋市の産泰神社に参拝しました。

産泰神社鳥居

立派な神門がありました。天保四年(1833)建立。

産泰神社神門

神門前では力神さまが灯籠を担いでいらっしゃいました。

力神さま
力神さま
力神さま

台座正面には猩々。側面裏面は劣化してしまったのか 何が彫られているのか分かりませんでした。

猩々

左側の灯籠。

力神さま

背中には冨房代と彫ってありました。多分、神門を建立した鯉登豊前守藤原富房の事だと思います。

力神さま 冨房代

こちらも台座正面には猩々が彫ってありました。

猩々

右面は亀。

亀

左面は馬の様なもの。足の付け根に炎状の線があるので海馬と思いましたが 喉元が蛇腹状になっているので麒麟かも知れません。

海馬

拝殿です。

産泰神社

文化九年(1812)建立。大工棟梁は大隅流伊藤生兵衛一門の矢崎久右衛門元形(1762-1827)。茅野市の三輪神社酒室神社を建てた人です。

産泰神社拝殿向拝

見にくいですが 兎ノ毛通しは鳳凰 中備は玉巵弾琴ぎょくしだんきん。太真王夫人ともいいます。

産泰神社拝殿向拝

「太真王夫人は支那列仙の一なり 王母の少女玉巵なり 一絃琴を弾ずる毎に 即ち百禽飛来するという 時に白龍に乗り周く四海を遊行すという」斎藤隆三『画題辞典』より

玉巵弾琴

海老虹梁の龍。

海老虹梁の龍
海老虹梁の龍
海老虹梁の龍

左側の脇障子には二十四孝の江革こうかくがありました。

二十四孝 江革 

孝行息子の江革は母と二人暮らし。老いた母が揺り動かされるのを嫌がるので 県の戸口調査の度ごとに 江革は牛馬を用いず自ら車を引いて母を運んだそうです。

母はなぜ後ろを気にしているのでしょう?忘れ物でもしたのか?それとも追われているのか?

二十四孝 江革

前歯の欠けた江革 ちょっとアホっ子。でも孝行息子です。

二十四孝 江革

右側の脇障子も二十四孝から。

二十四孝 楊香

山で虎に出くわして「私を食べて良いからお父さんを助けて」と祈った 我らが楊香ようこう

二十四孝 楊香

虎にヘッドロックを掛ける楊香。薄ら笑いを浮かべているのは恐怖のせい?だと思います。

二十四孝 楊香

宙を舞うお父さん。

二十四孝 楊香

手に持っている物は何?

二十四孝 楊香

飛んで行きます。

二十四孝 楊香の父

続きます。

刺青師・龍元

036-01(2023.03.31)

コメント

  1. onijiiです より:

    onijiiです。
    石灯籠の力神が目当てで参拝しました。
    進入路脇の石灯籠にも力神がいました。

    拝殿、幣殿、本殿全てが彫刻で覆われて
    いますね。
    鑑賞がしやすいので、愛好家には嬉しい
    神社です。

    遠い信州からここまで歩いてきて彫った
    とは、驚きですね。

    • Onijiiさんおはよう御座います。

      進入路脇にも居ましたか。気が付きませんでした。見所満載の神社ですね。

      境内社の金刀比羅宮も産泰神社の2年前に同じく矢崎久右衛門元形が建ててますね。歩いて来るだけでも大変ですが、仕事道具や資料なども考えるとかなりの荷物ですから、もはや引越しですね

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