令和三年新年巡礼二十四社目、茨城県龍ヶ崎市の女化稲荷神社に参拝しました。
永正六年(1509)創建 建久年間(1190~98)創建説あり
文久二年(1862)本殿造営
御祭神 保食命
御本殿覆屋。そっけない鉄骨と網や波板ではなく、拝殿と調和の取れた建物になっていて良いと思いますが、窓ガラスに格子は写真を撮るには悪条件です。
それでも寺社彫刻探求道秘伝の奥義を使えばなんという事もありません。ガラスは綺麗に掃除されていましたし、御本殿の掃除も行き届いていました。
胴羽目は張果老の瓢箪から駒。
高欄擬宝珠の所に龍がありました。この位置に龍があるのは結構珍しいと思います。覚えている限りでは、同じく龍ヶ崎市の鹿島神社一社のみ。
向拝柱にも龍。正面からも撮りたかったのですが、お正月だったので参拝者が切れ目なくいて、拝殿正面扉から中を覗く事は出来ませんでした。
御本殿背面。千葉北部から茨城南部にかけて多い脇障子が斜めについたタイプ。
胴羽目は応神天皇誕生。応神天皇を抱く武内宿禰と神功皇后です。
御本殿左面。
鎮西八郎源為朝の五人張りの弓ですね。なんか桃太郎みたいな格好をしてますけど。。。
牛久市観光協会のサイトによると平成十四年(2002)現本殿再建となっているのですが、これは覆屋再建の間違いでしょうね。御本殿の保存状態は極上ですが、さすがにそこまで新しくはないと思います。
ところで、龍ヶ崎市なのに何故、牛久市観光協会のサイトに案内があるのか?と思って地図を見ると、ここは牛久市の中にあり、神社の周りの区画のみ龍ヶ崎市の飛地になっていました。
ここは明治以前は現龍ヶ崎市馴馬町にある来迎院の管理下にあり馴馬村の鎮守であった為、明治以降馴馬村の所属となり、現在も龍ヶ崎市の飛地になっているとの事。来迎院が別当寺だったという事みたいですね。
女化という名前の由来は、簡単に言うと嫁さんが狐だったという事で、色々な伝承があるみたいなので、調べると面白いと思います。
刺青師・龍元
024(2021.02.12)
コメント
onijiiです。
自宅から5分。毎年初詣に行ってます。
こちらに胴羽目があるのを知ったのは、
寺社巡りを始めてから1年ほど経って
からでした。灯台下暗し。(笑)
女化って、ちょっと不気味ですよね。
昔は狐が随分といたんでしょうね。
牛久市は狸穴、猪子など動物の地名が
あります。田舎でございます。(笑)
職場だけでなく、とうとう自宅まで行ってしまいましたね。ご挨拶も無く突然失礼致しました。
牛には狸に狐に猪がありますか。なかなか曰くありげな地名ですね。