源為朝

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疫病退散 [為朝神社(武田八幡宮境内社)] 山梨県

身長七尺(2m10cm)を超える大男で、五人張りの強弓の使い手。暴れ者で兄達に対しても傍若無人だったため、13才の時に勘当され九州へ追放されるが、僅か3年のうちに九州を平定してしまう。崇徳上皇と後白河天皇が争った保元の乱 (1156) では上皇側についた為に敗北、朝敵として伊豆諸島に流される。ここでも暴れ回り事実上、伊豆七島を支配するようになるが、最後には討伐の院宣が降り、負けを悟った為朝は自害した。享年32才。 疫病神も恐れるほど強かったので疱瘡除けのお札になった、鞍もろとも鎧武者を射通して串刺しにした、一矢で300人乗りの軍船を沈めた、などの伝説や武勇伝は枚挙にいとまがない。追記有り(2023.06.11)
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胴羽目の他にも良い彫り物が沢山あります 嶋村源蔵 飯田岩次郎 [川越氷川神社 其の二] 埼玉県

腰羽目や妻飾りなどにも素晴らしい彫り物が沢山有りました。
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保存状態極上の御本殿 [女化稲荷神社] 茨城県

密閉型覆屋には格子のはまったガラス窓があり、保存状態の良い、見事な彫り物が施された御本殿を鑑賞する事が出来ます。
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椿説弓張月五人張りの弓 [時平神社]

胴羽目には私の大好きな源為朝の彫り物がありました。