令和二年六月吉日、千葉県野田市の三ツ堀香取神社に参拝しました。
由緒
天正年間(1573-93)創建
祭神 経津主命(ふつぬしのみこと)
拝殿彫師 後藤松五郎
拝殿向拝には子引き龍の彫り物。
裏側には「後藤松五郎正國佑之」と銘が彫ってあります。後藤松五郎というのは後藤流後藤筑波派の人で、寺田松五郎と名乗った事もあるそうです。
拝殿は明治十八年(1885)建立という事になるのでしょうが、御本殿については彫師・建立年などは分かりません。
社号額。
参拝を済ませて、御本殿に回ります。
鑑賞にはうってつけの覆屋です。
御本殿左面。
左面胴羽目は二十四孝から「孟宗」だと思います。筍が食べたいという病気の母の為に冬山を探したが、真冬に筍がある訳もなく泣きながら雪を掘ったら、筍が生えて来たという話。
背面胴羽目は、岩に隠れた天照大神を誘い出す場面の「天岩戸」。
右面胴羽目。
常に虎を連れ、人の病気を治したがお金は取らなかったという「董奉」。
脇障子は左右とも「鶴亀」でした。仕方ないのかもしれませんが、胴羽目をビス打ちしてしまっているのが残念です。
ここは大正十二年(1923)に起きた福田村事件の現場です。松五郎の龍は一部始終を見ていたのでしょうか。犠牲者のご冥福をお祈り致します。
刺青師・龍元
127(2020.06.18)
コメント
こちらはお隣さんがお寺さんだったと思いますが、神社との境のフェンス代わりに使われていた木の形状が外塔婆の形だったので彫刻よりもそちらの方が印象に残っています。
あ〜そうでした、錺さんの記事は読みました。確かに今写真を確認すると卒塔婆が並んでいますね。確かに不気味ですよね。
ここに来た時はもう夕暮れ近かったし、福田村事件の事で頭が一杯で気が付きませんでした。