刺青絵柄の意味 神功皇后

神功皇后 武者絵
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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神功皇后(じんぐうこうごう) 

神功皇后 (169-269)
第十四代天皇・仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇后
諱(いみな) 気長足姫(おきながたらしひめ)
父親 開化天皇の玄孫・息長宿禰王(おきながのすくねのおおきみ)
母親 新羅王子・天日矛(あめのひぼこ)の子孫・葛城高顙媛(かつらぎたかぬかひめ)
子 応神天皇

異表記

息長帯比売命(古事記)
大帯比売命(古事記)
大足姫命(続日本後紀)
大帯日姫(日本三代実録)

神功皇后

事跡

仲哀天皇二年(193)、天皇の熊襲征伐に随伴する。仲哀天皇九年(200)、神託に背いて急死した仲哀天皇の遺児を妊娠中に熊襲征伐を達成。神託を受けた神功は臨月にも関わらず、大臣の 武内宿禰(たけうちのすくね)と共に朝鮮半島に攻め込んだ。船が山に登らんばかりのその勢いを見た新羅・百済・高麗の王は戦わずして降服し朝貢することを誓ったという(三韓征伐)。

腰に石を括り付けて出産を遅らせていたが、同年暮れ凱旋帰国後に出産。翌年、天皇の遺児・誉田別命の異母兄二人をクーデターにより退けて、神功は皇太后摂政となる。その後、誉田別命(応神天皇)の即位までの69年間、ヤマト王権に君臨した。

東面胴羽目
神功皇后と応神天皇を抱く 武内宿禰 (茨城県 日枝神社 胴羽目)

明治時代までは一部史書で第十五代天皇、初の女性天皇とされていたが、大正十五年の皇統譜より正式に歴代天皇から外された。

干珠満珠伝説

太平記によれば、神功皇后が三韓征伐の神託を受けた際に、海の神・阿度部(安曇)磯良が龍宮から潮を操る霊力を持つ干珠と満珠を借り受けて皇后に献上したという。

神功皇后と武内宿禰 安曇磯良より宝珠を得る
神功皇后と武内宿禰 安曇磯良より宝珠を得る

朝鮮に渡るには荒波で有名な玄界灘を越えて行かねばならなかったが、干珠と満珠の力で潮を操り、皇后は三韓征伐に成功した。

刺青師・龍元


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