令和五年七月上旬 栃木県宇都宮市の羽黒山神社に参拝しました。
康平年中(1058-65)創建 諸説あり
文政十三年(1830)造営
大工棟梁 山本飛騨
彫師 神山政五郎
御祭神 稲倉魂命
拝殿向拝兎ノ毛通しには梅の木 中備には定番の龍がありました。子引き龍です。
御本殿覆屋は大きいガラス張りで 内部は明るく鑑賞にはもってこいです。
早速中を窺うと 立派な御本殿が鎮座しているのが見えました。
向拝柱は葡萄に栗鼠だと思います。海老虹梁は龍です。
これは翼の生えた応龍。
御本殿右面です。
鹿沼市の日向神社に 同じく神山政五郎の胴羽目がありますが 政五郎は一枚の胴羽目に沢山の要素を詰め込むのが得意だった様です。
これは見た事の無い構図(多分)。
女仙が琴らしき物を持って龍に座っているので これは一絃琴を奏でて龍を魅了したと伝わる玉巵弾琴で間違いないと思います。
では こちらの女仙は誰でしょう?
玉巵は西王母の末娘ですから この貫禄から考えて これは西王母ではないかと思います。
西王母には 七仙女と呼ばれる七人の娘がいるとも 禹王の后の雲華夫人が西王母の二十三番目の娘とも言われるので きっと沢山の娘がいるのでしょう。
こちら↓はその内の一人ではないかと思いますが 誰なのかは分かりません。
脇障子のこの老人は高砂の尉。
鹿沼市の日向神社↓に 同じく神山政五郎彫りの 高砂があります。
背面に胴羽目はありません。
左側脇障子は高砂の媼。
左面です。
胴羽目は恵比寿さま。
恵比寿は 恵比須とも戎とも夷とも蛭子とも書きます。使い分けについては良く知りませんが 多分どれでも良いのだと思います。
ただ 蛭子については伊弉諾・伊弉冉の間に生まれ 三歳になっても足が立たないので船で流されたという蛭子命が 中世以降に恵比須と習合したと言われます。
浮かれている人。
毛沢東っぽい童子。
立派な鯛を担ぐ童子。
斗挾間や支輪 尾垂木などにもびっしりと彫り物が施されています。
海老虹梁の応龍。手挟みは金鶏でしょうか。
木鼻の獅子も個性的です。
縁下腰組み間には鯛や菊水などがありました。
こちらは化け鯉。
四隅の龍頭を見ると 大分廃れています。過去に雨ざらしだった事があるのかも知れません。ガラス張り密閉覆屋にして正解だと思います。
腕時計のリューズは外来語だと思ってましたが 実は「龍頭」と書くという事を寺社彫刻巡りをする様になってから知りました。
縁の下の力持ちを素通りする訳には行きません。が 写真が多くなったので次回に続きます。
刺青師・龍元
073 -01(2023.07.13)
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