誉田足玉神社(ほんだたるたまじんじゃ)

誉田足玉神社鳥居 長野県
誉田足玉神社鳥居
プロフィール

彫師歴四半世紀余。東京六本木にて刺青芸術工房龍元洞を主宰。
日本のみならず、世界中で日本伝統刺青に注目が集まる中、世界の刺青大会に参加、北米・南米・欧州・豪州など各国の刺青師と交流。日本古来伝統の手彫りの技術の継承・研鑽とともに、日本文化の紹介にも力を注いでいます。

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上田市真田町にある誉田足玉神社を訪ねました。

由緒

創建 天安元年(857)
御祭神
誉田別命(ホンダワケノミコト)
息長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)
玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)

誉田足玉神社鳥居

拝殿

だいぶ寂れた感じです。南向き。

誉田足玉神社拝殿

本殿

参拝した後、拝殿の裏へ回ると本殿がありました。

本殿

本殿の覆屋。有り難い事に、格子は低く上の方は柱だけ。

本殿覆屋

本殿正面。扉の両脇には鎧武者の彫り物。

鎧武者が彫られた本殿正面

猪早太

猪早太 が鵺にとどめを刺す所でしょうか。

猪早太の鵺退治

となればこちらは渡邊丁七唱(わたなべ ちょうしち となう)の筈ですね。二人とも 源頼政 の家臣で、勅命により鵺を退治します。 頼政 が弓矢で射抜いて、唱が篝火で照らし、早太 がとどめを刺します。周りを注意して見ましたが、頼政 らしき彫り物はありませんでした。

渡邊丁七唱?

しかし、後で平家物語を読み返してみると渡邊丁七唱なる侍は出て来ません。となるとこれは 頼政 か。しかし、芳員の浮世絵を見ると唱が篝火を持っている姿が描かれています。

渡邊丁七唱

う〜ん、唱って何処から出て来たの?平家物語って色々なバージョンがあるから、版によって違うのかな。歌舞伎でも渡邊丁七唱という役があるので、何処かの時代で付け加えられたのかも。

という訳でコレは 頼政 の可能性が高いですね。でも、素人の私が悔し紛れに言うのも何ですが、弓を持たせた方が頼政っぽくて良いのに、なんて思っちゃいました。

ー追記(2019.12.13)これは明らかに絵本写宝袋の絵を下敷きにしていると思われます。猪早太 は大分違いますが、頼政 はほぼ同じポーズ。そうやってみると彫刻の方にも元々は弓があって後で欠損した様に見えます。

誰だ、唱だなんて言ったのは!ごめんなさい私です ー追記終わり

巴御前

本殿西側斜め前から。

本殿

西側胴羽目。これは 巴御前 ですね。怪力無双の女武者で 木曽義仲 の愛妾です。

巴御前

反対側斜めから。

鹿角兜

本殿

こちらは誰でしょうね?鹿角の兜と言えば真田幸村が有名ですが。

真田幸村?本田忠勝?

打ち倒されている方の武士の兜には梅鉢紋があります。梅鉢紋とググると前田利家が出て来ました。でも真田幸村が前田利家に討ち勝ったなんて話は聞いた事も無いし、二人とも豊臣方ですよね〜。

念の為、鹿角の兜の方もググってみたら、本田忠勝も出て来ました。こちらは徳川方だからこっちの方が可能性が高いのかも?いや、ここは真田町だからやっぱり真田幸村だ。う〜ん、もう右端にある笹が笹竜胆紋に見えてきて、これは巴御前の旦那の 木曽義仲 かも?なんて、こうなると何が何やら。。。

脇障子

脇障子にも鎧武者が彫ってありました。馬が沼にはまっているのだとしたら、こっちが 木曽義仲 かも。でも、反対側も同じ様な構図なんですよね。

武田信玄か?

兜を拡大してみると四つ割菱がついているので、武田信玄か?でも、なんか信玄っぽくないな〜。

刺青の画題でもそうなのですが、鎧武者というのは皆同じ様な感じになってしまって、余程兜が特徴的であるとか、何かを退治しているとかでないと判断の決め手に欠けます。

誉田足玉神社

のどかで良い所にありました。

神社仏閣の彫り物は刺青とは画題の種類が微妙に違います。特に胴羽目の彫り物は中国の故事などが多いのですが、ここは私の守備範囲に近くて中々充実した時間でした。

再訪しました

刺青師・龍元

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