今月初旬、山梨県都留市の太宰府天神社を見てきました。ここも同じ都留市の 生出神社 とほぼ同じ向き、北向きの神社です。
由緒
創建不明
天保八年(1837)類焼炎上
明治元年(1868)再建
祭神
菅原道眞
社殿
彫師は小沢半兵衛邦秀と小沢徳蔵俊秀の親子です。
唐破風
縣魚は鳳凰。緻密で良い仕事してますね〜。
虹梁
虹梁上には高砂の尉と姥。鶴が飛んでいます。よく見たら亀もいますね。
左側繋ぎ虹梁の上には小野道風。花札の「雨」の札のモチーフです。蛙もいますよ。
右側繋ぎ虹梁上には三人の人物。高砂・小野道風と来てるし、和装なので出典は日本の話だと思うのですが。
〜追記(2023.10.17)こちらは落語の「厄払い」から「東方朔は八千歳、浦島太郎は三千歳、三浦の大助百六つ」の東方朔を日本図柄の武内宿禰に換えたものだそうです。一魁斎さんにご教示いただきました。詳しくはコメント欄をご覧ください。 追記終わり〜
小壁
向拝の向かって右側の小壁には鷹、その下に虎。
向かって左側。虎は左右で阿吽になってますね。木鼻の獅子の口の開き方はほとんど変わりません。
そのまま、東側に回ると鶴とその下に鶏。
隣も鶴と鶏が続いて、今度は裏へ回って、兎。
そのまま兎・鶴と鶏・鶴と鶏という風に続きます。
脇障子
向かって左側の脇障子です。二十四孝の蔡順。母の為には熟れた桑の実、自分の為に熟れてない桑の実を選り分けていたら、盗賊が感動した、というお話。ふ〜ん盗賊がね〜。
向かって右側の脇障子。同じく二十四孝の朱壽昌(しゅじゅしょう)。幼い頃に生き別れた母に会いたくて、57歳の時に仕事も家庭もかなぐり捨てて、血でお経を書いて祈っていたら母に会えた、というお話。
二十四孝の話は 福沢諭吉も批判している 様に、全く酷いお話ばかりですが、彫刻の人物の柔和な表情は本当に素晴らしいっス。
この時は細か〜い霧雨が降ったり止んだりだったので、レンズに水滴が付いてしまってピントが甘くなっちゃったな〜。その場では気が付かなかったけど、PCのディスプレイで見るとちょっと残念な写りでした。反省。
刺青師・龍元
コメント
おはようございます。
ここ3週間は山梨県内を巡っておりまして、昨日こちらの神社さんで撮影をしてまいりました。
右側繋ぎ虹梁上の3人ですが、左から浦島太郎(目の前に玉手箱)、武内宿禰、三浦大介義明の組み合わせと思われます。俗に「東方朔は八千歳、浦島太郎は三千歳、三浦の大助百六つ」(落語「厄払い」)などと申しましていずれも長寿の人物ですが、この彫り物では東方朔の代わりに、やはり長寿とされた武内宿禰にして日本の人物のみで固めたようです。
なお、宮彫めぐりの皆様のサイトの方には掲載されていない模様ですが、こちらの天神社さんよりも東桂駅寄りにあります今宮神社さんの本殿(天明5年/1785年再建)にも縁下を除いて一通りの彫り物がありましたので一応お知らせ致します。詳しくは下記のまとめをご覧いただけましたら幸いです(未投稿なだけで参拝済みでしたら御容赦ください)
山梨県の宮彫めぐり ~郡内地域の神社彫刻を中心に~
https://togetter.com/li/2242613
こんにちは 一魁斎さん
この三人は長寿つながりなんですね。そう言われると確かに浦島太郎と武内宿禰ですね。落語にそんな話があるのですか。私は落語はほとんど聞いた事がありません。
今宮神社はノーマークでした。新情報ありがとうございます。