鯉が黄河の上流の龍門という渓谷に集まり、瀧を登り切って龍に成る事を「登龍門」と云います(この狭き門自体の事を登龍門と云う事もあります)。
似た言葉で
「六六変じて九九鱗(八十一鱗)となす」
という中国の古い言葉があります。これも鯉が龍に変わる事。転じて出世を表します。
鯉には頭から尾にかけて一列の鱗が約36枚あることから、6×6=36で六六鱗とか六六魚と言ったりします。
対して九九鱗は龍の事で、龍の鱗が81枚ある、という伝説に基づくと云われます。龍にしてはちょっと少ないですね。
さて、この鯉が龍に変わる途中の姿を、刺青の世界では「龍魚」「龍鯉」「化け鯉」「進化鯉」「変化鯉」などと呼びます。
鯉が滝を登り始めると 少し棘張って来ます。
やがて、頭が龍になります。
次に、翼がはえて来ます。
私は「龍魚」か「化け鯉」と呼んでいますが、「龍魚」というとアロワナを思い浮かべる人もいる様ですし、「化け鯉」は「鬼若丸の化け鯉退治」の様に「お化け鯉」「巨大な鯉」を言う事もあるので少し紛らわしいかも知れませんね。
足が生えて来ると、もうこれは化け鯉ではなく、応龍とか飛龍と呼ばれます。
たまに鯱と呼んでる人もいる様ですが、Wikipediaには「鯱とは、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物」とあるので、これは化け鯉とは違う生き物でしょうね。
寺社彫刻や浮世絵に多大な影響を与えたと云われる橘守国(1679-1748)という狩野派の町絵師が著した『絵本通宝志』という絵手本には「摩竭魚」というタイトルで、まったく化け鯉にしか見えない物が載っています。
「龍の頭で魚の身、全躰に針を佩びる」と説明してあって、まさに化け鯉の説明として矛盾は無いですが、磨羯とはマカラの漢訳で、仏教の経典に出てくる怪魚。鯨魚とも呼ばれ、船を飲み込む程大きいですし、他の絵師の摩竭魚は化け鯉とは似ても似つかない物がほとんどです。
化け鯉も摩竭魚も鯱も、元々は同じ伝説の怪魚だったのが、時代と共に別れて行ったのかも知れませんね。
刺青師・龍元