令和七年四月下旬 神奈川県横浜市の上俣野神社に参拝しました。

欽明天皇代(539-71)創建
安政三年(1856)再建
明治三十二年(1899)現社殿改築
御祭神 須佐之男命 欽明天皇

拝殿を兼ねた御本殿覆屋。構造上は彩光に問題はなさそうですが ここに着いたのは午後5時過ぎなので 中はかなり暗いです。

御本殿向拝

中備の龍。

作風としては かなり精緻で 他の彫物も緻密な物が期待できます。

龍の上の支輪?には麒麟の浮き彫りがありました。

唐破風下には邪鬼型力神。

扉脇板は登り下りの龍です。


屋根がよく見えませんが 多分 春日造りです。

大きな唐破風を支える向拝柱から伸びる繋虹梁上にも 立派な中備がありました。

「牛若丸 鞍馬山にて剣法を修す」

横にいるのは 鞍馬山僧正坊です。

父・源義朝が討たれ 鞍馬寺に預けられていた御曹司牛若丸。

父の仇を討つために 鞍馬天狗の指導のもと 夜な夜な剣法・兵法の修行に励みます。

神社は南を向いている事が多く 右面は東向きになります。なので この時間だとかなり暗いです。

繋虹梁中備は 「玉巵弾琴」。

西王母の末娘・玉巵が一絃琴を奏でると たちまち百禽飛来し

龍がその音色に聞き惚れると云います。

御本殿右面

胴羽目は「日本武尊 の東征 草薙剣」。

景行天皇に東方征伐を命じられた日本武尊は 相武国(現静岡県)で欺かれ 野火攻めに遭いました。

そこで天叢雲剣で草を薙ぎ払い 火打ち石で向かい火を起こして脱出します。

この事から天叢雲剣は別名・草薙剣とも呼ばれる様になった と云います。
御本殿背面

胴羽目は「天岩戸」。

須佐之男命の乱暴狼藉に腹を立てた天照大神が 岩戸に隠れてしまったので 世界は闇となりました。

記紀では ここに居なかった筈の 猿田彦神ですが 寺社彫刻や浮世絵では ほぼ必ず居ます。

神々は協議し 岩戸の前で天鈿女命が踊りました。日本書紀では踊るだけ 古事記では胸や陰部を晒して踊り 神々が笑います。

天照大御神が訝しんで天岩戸の扉を少し開けると 隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出しました。

御本殿左面

胴羽目は「須佐之男命 八岐大蛇退治」。

須佐之男命が「なぜ泣いているのか」と尋ねると「身一つに頭が八つ 尾が八つある八岐大蛇に食べられてしまうのです」と答えました。

そこで須佐之男命は 八つの瓶に酒を満たして待ちました。

すると 八岐大蛇がやって来て 酒に頭を突っ込んで飲み干して泥酔してしまいました。

その隙に 須佐之男命は八岐大蛇を十拳剣で切り刻んで退治します。

このとき 尾を切ると中から大刀が出てきました。これが 天叢雲剣 のちに草薙剣 と呼ばれ 三種の神器の一になります。
胴羽目は日本神話の三大名場面。向拝の龍を見て期待した程には 精密な彫物ではありませんでしたが 見応え十分の神社でした。
もっと明るい時間に再訪したいと思います。
刺青師・龍元
057(2025.08.28)
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